永楽和全(宗三郎)截金忽子(急須) [幕末京焼]
激動の幕末から明治への時代の流れの中、永楽家を守りぬいたことで知られる永楽家の十二代和全は1866年(慶応2年)、宗三郎(のちに13代の称号を授けらる)・常次郎(14代得全)と共に九谷焼の指導のため山代春日山に赴き、九谷焼の改良と、自身の作品の製作も行いました。
その際に、和全による指導でそれ以降の九谷焼に定着したのが『金襴手』の技法です。
今回は、その九谷焼時代の和全作品をご紹介致します。
永楽和全 截金忽子
幅 6.8㎝ (取っ手含むと9㎝) 高さ 5.8㎝
・・・・・はい、品名読めません、という声が聞こえてきそうです。(^-^;
『きりがね こっし』
きりがね、は金箔を貼り合わせて模様として焼き付ける技法です。
こっす、は煎茶道具でいうところの急須を指すようです。
この形状のやさしさ、とバランスの良さ。
銘は染付による書き銘です。
底部です。
保全は金泥と使っておりましたが、和全より金箔を使った金襴手が焼成できるようになりました。
この最新の技術を使い、九谷焼の再興を加賀の大聖寺藩から依頼されたのです。
そして1870年(明治3年)迄、九谷村に滞在いたしました。
この作品は、和全と永楽家の両輪として活躍した宗三郎の手によるものと推測されます。
もちろん、『和全』ブランドとして世に出されておりますが。
宗三郎の作品は陰ながらも大変丁寧かつ、上質で私自身も好きです。
この作品は、8月より金沢美術倶楽部のHPでのWEB展示会にも出品致します。
※ご成約済みです。
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Journal of FUJII KOUNDO 《お問い合わせ先》
TEL 090-8578-5732
MAIL fujii-01@xc4.so-net.ne.jp
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その際に、和全による指導でそれ以降の九谷焼に定着したのが『金襴手』の技法です。
今回は、その九谷焼時代の和全作品をご紹介致します。
永楽和全 截金忽子
幅 6.8㎝ (取っ手含むと9㎝) 高さ 5.8㎝
・・・・・はい、品名読めません、という声が聞こえてきそうです。(^-^;
『きりがね こっし』
きりがね、は金箔を貼り合わせて模様として焼き付ける技法です。
こっす、は煎茶道具でいうところの急須を指すようです。
この形状のやさしさ、とバランスの良さ。
銘は染付による書き銘です。
底部です。
保全は金泥と使っておりましたが、和全より金箔を使った金襴手が焼成できるようになりました。
この最新の技術を使い、九谷焼の再興を加賀の大聖寺藩から依頼されたのです。
そして1870年(明治3年)迄、九谷村に滞在いたしました。
この作品は、和全と永楽家の両輪として活躍した宗三郎の手によるものと推測されます。
もちろん、『和全』ブランドとして世に出されておりますが。
宗三郎の作品は陰ながらも大変丁寧かつ、上質で私自身も好きです。
この作品は、8月より金沢美術倶楽部のHPでのWEB展示会にも出品致します。
※ご成約済みです。
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2020-07-28 15:52
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