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【初代 伊東陶山 すすき絵 茶碗 鏡山窯】 [帝室技芸員]

薄がきれいに茂る季節です。

一度行ってみたいのが曽爾高原 のすすきです。

黄金色に光る一面の芒、見てみたいですね~。


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そんな、時候の風情を表現したお茶碗のご紹介です。



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【初代 伊東陶山 すすき絵 茶碗 鏡山窯】


幅 13.2㎝~13.4㎝  

高さ 5.8㎝ 

高台 4.2㎝


制作年 大正9年



初代伊東陶山のお茶碗、久々に入りました☆


いつもながら、やわらかい絵付けとやさしい形状・・・粟田のクリーム色はとても上品です。


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口造りのてひねり感も良いですね。


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少し、小さ目なのも陶山のお茶碗ならではです。


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かがみ 陶山


初代伊東陶山が最晩年の大正9年、京都の鏡山窯に新たに築窯した際の作品です。

しかし、この窯の完成を見た後・・・陶山は、その生涯を終えてしまうのです。



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1846年(弘化3)~1920年(大正9) 


名は重太郎,のちに幸右衛門。

明治28(1895)年より陶山を名乗る。

京都粟田口に生まれ,絵を円山派の画家小泉東岳に師事するが、陶芸に転向。

文久3(1863)年,京都五条坂の陶工亀屋旭亭に師事し陶技を学ぶ。さらに3代高橋道八,幹山伝七,9代帯山与兵衛らの指導を受け,各地の窯場を巡った。

慶応3(1867)年,京都粟田白川畔に開窯。宇治朝日焼の復興,粟田焼の振興に尽力。

京焼の改良を志し,明治24年には本焼絵付の技法を完成,同29年には京都に陶磁器試験場と伝習所を開設した。


明治17年から粟田陶磁器組合長をつとめ,技法の改良や輸出面に貢献した。

さらに36年には浅井忠,宮永東山らと陶器研究団体「遊陶園」を結成するなど京都陶芸界の発展に尽くした。

大正6年、陶芸4人目の帝室技芸員に任命される。

大正9年9月24日死去。75歳。京都出身。前名は幸右衛門。




本日より、ベースではちょっとした、お茶碗展がスタートです。

お値ごろ作品が幾つか、そろいましたので・・・WEB上と併せてご紹介することに致します。



BASE215 10月の特集  ~ちょっと、お茶碗展~


①【初代 伊東陶山 すすき絵 茶碗 鏡山窯】



※ご成約済みです。


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