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【永楽保全 高槻焼 瓢形捻祥瑞 酒次】 [永楽保全  Blue&White]

久々にシリーズモノのつづき、です。


【永楽保全  Blue&White】



紀州徳川家の御庭焼「偕楽園」に招聘され、その功により「永楽」の名を賜った幕末京焼の名工保全を紹介します。


保全は大綱和尚の世話で了全の養子となり文化14年(1817)に11代善五郎を継承。


三井家や鴻池家との交流で名品に触れる機会を得て、あらゆる写しを高いレベルで作り抜いた希代の名工です。


常に新たな知識を求め、探求しつづけた姿勢と努力は確実に作品から感じ取ることが出来ます。

善五郎襲名直後に既に完成の域にあったのが、染付・祥瑞作品です。

幕末京焼では、仁阿弥から始まった染付焼成技術ですが、保全もわずかに遅れることすぐに追従しております。


その後の保全につきましては・・当ブログにてご紹介しておりますが、時代を30年飛ばします。


嘉永元(1848)年、保全は家督継承について・・和全との不仲により京都を離れることになりました。

その後、江戸行きや、琵琶湖での湖南焼を経て、摂津高槻城主の永井侯に招聘され製作したのが高槻焼です。

嘉永5(1852)年頃のことです。


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【永楽保全 高槻焼 瓢形捻祥瑞 酒次】


 胴径 7.6㎝ 高さ 16㎝


 嘉永5年頃


 共箱   17代極め外箱



全体的に”捻り”の意匠です。

これは絵付けだけでなく、盛り上げて捻りを表現されております。


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瓢箪形、というよりやさしい繭のような形状です。


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祥瑞を意識した丁寧な絵付けと形成です。


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銘部分です。

窯内でのひっつきがあります。


高槻焼は半年ほどだけの、短期間の稼働だったようです。

近年、『高槻市真上町』という場所で、窯跡とおぼしき発見されたようです。

肥前系の小型登窯の円窯であったとの推測がされており、染付磁器が焼成出来るという裏付けがされてました。

一時、同時期に湖南焼もあったことから、共通窯として別の場所から焼いた作品を持ち込んだのではとも思っておりましたが、これで納得、です。



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(左)外箱 (右)共箱 です。


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外箱は、17代永楽善五郎の極めです。


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共箱 (甲)

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共箱 (裏)


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共箱 側面部分 蔵の貼紙です。



保全は、紀州徳川家のご縁から始まり・・・その技術力を見込んだ、様々な有力者の方々とのご縁で、晩年にいたるまで精力的な製作活動を続けました。

その中でも最晩年にあたる『湖南焼』や『高槻焼』では染付のみの製作で、それまで高麗写しの土ものや、色絵・交趾など自在に使いこなせた保全の境地が、染付作品であったことがうかがえます。

そこには千家流としての陶工としての役目を果たし終えた後の、注文主である各有力者の豊富な資金・熟した技術・積み上げられたセンスにより、自由に作り上げられた独自の世界があるのです。  

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※ご成約済みです。
     

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