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【永楽保全 於湖南 金襴手 馬上盃】 [幕末京焼]

生涯をかけて、知識の探求とたゆまぬ努力を続けた・・・幕末京焼の名工のひとり、それが永樂保全です。


晩年は、息子である和全との不仲や財政難により、かなり苦労をし・・・江戸や滋賀、高槻と流浪の身でありましたが、それぞれの行く先で確実な足跡となる作品群を遺しています。

そんな中でも、評価されるのが『湖南焼』といえましょう。




嘉永元年に京都を離れ・・・琵琶湖畔の膳所の地にて、湖南焼の初期となる『河濱焼』を焼きました。

それらは、『奢侈禁止令』が弘化2(1845)年にゆるみ、自粛していた金襴手等の豪奢な作品を復活させ思う存分費用もかけた製作を行っていた『善一郎時代』の3年間の後・・・気持ち的な反動であったのでしょうか、それとも自身の置かれた状況により心境が反映されたのでしょうか、侘びた高麗風を基調としたモノクロームで単調な作風でありました。

もちろん、高麗の写しも大得意としておりました保全でありますから、その茶味溢れるものはそれで魅力のあるものでありましたが。



そして、嘉永元(1848)年には、江戸に赴き・・・再起を図るも、うまくいかず・・失意の中、求められるまま、再び湖南の地にて『湖南焼』なるものを興すのです。

時に、嘉永4(1851)年のことであります。


今回は、その湖南焼の中でも逸品といえる作品のご紹介となります。



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【永楽保全 於湖南 金襴手 馬上盃】


幅 7.2㎝ 高さ8.1㎝

共箱

嘉永4(1851)年頃




なかなか、の出来栄えです。


サイズもかなり大きく、保全の代表作のひとつとして知られる染付馬上盃(大阪市立美術館蔵)のものを金襴手により、リメイクしたものです。


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金箔の仕上がり、絵付けの安定さ。

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見込み、には染付が。


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腰捻により、造形のみならず文様もひねっております☆


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底部です。染付銘になっております。やや焼が甘めで上釉の貫入はあります。


於湖南



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共箱も現存しております。


あまり見かけない珍しい作品であり、酒器としてよりも飾り物としても抜群であります。



DSC05450-1.jpg


※ご成約済みです。


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