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【名美アートフェア2021】のおしらせです☆ [催事]

本日、荷飾り準備完了です☆




【名美アートフェア2021】   @名古屋美術倶楽部


名古屋美術商協同組合に加盟する美術商が、個性溢れる展示で皆様をお迎えいたします。
様々なジャンルの美術品を鑑賞し、安心して気軽にご購入いただける美術品展示販売フェアです。
恒例となりましたチャリティー入札コーナーも引き続き開催いたします。皆様お誘い合わせのうえ、是非ご来場ください。

昨年は中止いたしました名美アートフェアですが、本年は感染防止対策を施し下記日程にて開催いたします。



2021年

 6月25日(金)  午前10時~午後6時

   26日(土)  午前10時~午後6時

   27日(日)  午前10時~午後5時




当店の出店者情報ページです。↓

https://www.meibi.or.jp/fujii.html 




さて・・・今回のサザエさん・・・じゃなくって、香雲堂さんは~




昨年は、中止になってしまった企画が、ようやく陽の目を見ます。

特製パンフレットもご来場の方へお渡ししたく存じます。


名古屋美術倶楽部 2階 ⑪ブース



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『 企画展 御深井焼(おふけやき) +

            OWARITOKUGAWA Official Ware 【plus】 』




徳川御三家の筆頭である、尾張徳川家の御庭焼です。

初代義直が御庭焼として名古屋城御深井丸に寛永年間(1622~1644)に開窯した。

次の光友の時代は前期の最盛期で、尾張では御深井焼以外にも横須賀御殿で、江戸では戸山御殿でそれぞれ新たに御庭焼が始められた。

その後八代宗勝まで断続的に続けられたが、九代宗睦の代で緊縮財政の為一時中断。

10代斉朝の文政年間(1818~1829)頃に、新製染付焼の加藤唐左衛門により再興され茶の湯に熱心だった12代斉荘公時代に最盛期を迎える。

斉荘は裏千家11代玄々斎に茶事を学び、伝来の名品や贈答用の御庭焼への箱書をさせて重用した。

これは玄々斎が三河奥殿藩主松平家から裏千家へ養子入りしており、尾張藩家老の渡辺規綱は実兄であること、斉荘が藩主に就任したとき(天保10年1839)規綱の長男・寧綱が家老になっている事とは無縁ではないと思われる。
 
この頃には名古屋城内では御深井焼以外に楽焼の萩山焼、その東側では東山焼が新たに始められ。江戸藩邸では戸山焼の復興と、加えて楽々園焼も始められた。

 斉荘没後は、江戸藩邸のやきものは廃窯になり、御深井焼・萩山焼も断続的に焼成されるのみで、明治4年に廃窯となる。
 
「前期」御深井焼では藩主及び、藩の献上品・贈答品・城内調度品などが制作され、「後期」御深井焼ではそれに加えて、藩主自らの手造りや家臣への下賜品が作られるようになる。

出仕したのは、前期は瀬戸の御窯屋三人衆である加藤唐三郎・仁兵衛・太兵衛家と御焼物師 加藤新右衛門・三右衛門家で、義直が美濃より招聘し瀬戸の再建の為に擁護した家である。

「後期」御深井焼ではこれらの加藤家と新たに新製染付焼の加藤唐左衛門・川本半介らが参加し、尾張藩士で陶芸を得意とした平澤九朗や正木惣三郎、加藤春岱なども加わった。


濫堀を禁じられ、城に秘蔵されていた祖母懐の土が使われ、尾張徳川家の数ある本歌の数々を参考に製作出来ること、尾張陶工界のトップレベルの技術の投入、そして藩主の主導による非売品であったことなどから、これ以上に珍重される茶陶は無いといえます。


関係した九朗や御用窯の民吉、紀州徳川家に関わった保全も併せてご紹介致します。


是非、ご高覧下さいませ☆








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