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【奥田木白 赤膚焼高取薬 手塩皿】 10枚 [食の器]

最近は、こだわりモノでしか「食の器」をご紹介しておりませんので点数がしぼられてしまい、楽しみにしていただいてる皆様にはご迷惑をおかけしております。


さて、どうしても京焼が多い・・・当店の「食の器」ですが、出ました出ました。


遠州七窯のひとつ、「赤膚焼」の中興の祖として知られる・・・・「奥田木白」作品です☆



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【奥田木白 赤膚焼高取薬 手塩皿】 10枚


幅  10.7cm×9.5cm

高さ 2.5cm


状態 数客に微小ホツ有

共箱 



赤膚焼は、、天正時代(1573~1592年)に常滑焼の陶工である与九郎を招聘したとか、正保時代(1644~1648年)に野々村仁清が開窯に関与したとか・・・所説伝わり、遠州七窯のひとつとして数えられております。

しかし、僅かな期間で中断となり・・・時は江戸初期から江戸後期へと飛びます。



それが、赤膚焼の中興の祖と称される名工、「奥田木白」です。



「諸国模物處」(しょこくうつしものどころ)の看板を掲げており、その釉薬精製の技術や造形力の高さから一気に「赤膚焼」の名を広めたのです。


今回ご紹介の作品は、同じ遠州七窯のひとつである、「高取焼」の釉薬を写した作品です。


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その実力に、多方面からの依頼が舞い込んだ制作に応えた奥田木白は様々なアイテムの優品を遺しております。


この作品も、江戸時代末期頃のものですが・・・なんともいえないデザイン感覚です。


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手塩皿なのに、足付きなのです。

その足の作りは美濃の古窯のやきものをイメージさせるものです。


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全体のフォルムはうってかわって、6角形のシャープなデザインです。


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片木目のような波の彫りに、12枚羽の「菊」を2つ散らし「桐」を重ねております。

それが立ち上がりに合わせて絶妙のバランスで配置されているのです。

高取釉の「溜まり」が効果的に折り目の節を強調させ、より造形感を増しています☆


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土もよい土を丁寧に精製している感じです。


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勾玉形の「赤ハタ」印が、各客丁寧に向きをそろえて押されております。


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共箱です。


木白は奈良の郡山藩御用の小間物商である「柏屋」の生まれであり、「柏」の字を分解して「木白」の号を名乗りました。


元が商家ですので、藩の上級藩士や寺院、豪商との交流で美術観の経験が積まれたようです。

幕末期は京焼の名工たちもそうですが、研鑽の眼と予断無く続けた努力により独自の世界を持ちえたのです。。。


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※ご成約済みです。




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Journal of FUJII KOUNDO 《問い合わせ先》


          藤井香雲堂
 

     TEL 090-8578-5732

    MAIL fujii-01@xc4.so-net.ne.jp


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