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【粟田焼 光山 京薩摩 平茶碗】 [幕末京焼]

『SATSUMA』


この言葉は、もちろん九州鹿児島を指すのですが、こと『やきもの』ではもう少し広義な名称としても周知されております。


1867年のパリ万博に、薩摩藩が出品し人気となった豪奢な色絵陶器により、『SATSUMA』の名前は一気に広まりました。


そして、時代は明治になり・・・貿易が盛んになる中で、国策として各地のやきもので人気のものを輸出すべく生産されるようになるのですが、その物量やスピードの需要から、薩摩焼は独自の展開を迎えることになります。


鹿児島・薩摩、東京・薩摩、横浜・薩摩、京・薩摩、大阪・薩摩、神戸・薩摩、加賀・薩摩・・とこれだけの展開がなされたのです。


それは、薩摩焼の写し・・・というより、『薩摩様式』での各地の得意とする技術とセンスにより独自の発展をみせた、新たなジャンルといっても過言ではありません。



今回、ご紹介致しますのは『京薩摩』です。



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【粟田焼 光山 京薩摩 平茶碗】


幅   12.5cm

高さ     8cm

高台径  4.8cm


製作年代 明治初期~中期頃

箱    無地木箱




比較的、京薩摩は・・・・個人的には意匠や絵付けはやや雑味があり派手目である、という印象があり・・・完全な貿易用のイメージが強かったのです。

しかし、今回の作品は二代香山が得意とした、『極彩色』をやや浮き盛で薩摩風にしたような品のあるところに惹かれました。


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側面からも垣間見える、絵付けの煌びやかさ☆


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『薩摩様式』に共通するのは、細やかな貫入のはいる素地です。

これにより、温かみのあるクリーム色になり、色絵の印象が異なってくるのです。


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この、緻密に広がる『幾何学文様』の素晴らしいこと!


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『紫慶堂 光山』の書き銘です。


『光山』は、粟田口にて『錦光山』とならんで活躍した粟田焼の窯元です。


錦光山と違い、大規模ではなかったようですが、その分丁寧な作行きな気が致します。

『大阪薩摩』で世界的に有名な『藪明山』、も初期頃は『光山』から素地を仕入れていたという記録があるそうです。


スクリーンショット (1).png


古い文献に、記録が遺されております。


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木箱です。



輸出用の薩摩焼は、使い用というより飾り物、としての用を満たすべく・・・碗形としても、小鉢や盛器であったりすることが多いのですが、この作品は『茶碗』としての造りになっております。


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薩摩焼の大量生産は、粗製乱造を呼び・・・結果、マーケットの縮小と作品のクオリティの混在により、後世での評価下落へとつながってしまいました。


京薩摩・・・薩摩の様式に、古くから伝わる『粟田』の京焼の『技』と『美』を融合させて、独自の昇華がなされた茶碗・・・これは、もはや『明治の京焼茶陶』として、後世に伝えて頂きたい一品なのです。



※ご成約済みです。



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