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【亀屋旭亭 染付松竹梅絵 茶碗】 [幕末京焼]

大変、珍しい陶工の作品です。


江戸時代後期・・・京都の地に於いて、ようやく『染付』の技術が完成致しました。

その先駆けとなったのは『仁阿弥道八』です。


その道八の染付完成に力添えしたのが、『塩野熊吉朗』という陶工です。



天保時代に、有田の陶家に入り込み・・・苦労の末、『染付陶磁器技術』を学び京へ持ち帰り、高橋道八家へ伝えたといわれております。


しかし、作品はもう少し前には有りますので、『天保時代』というのは誤りで『文化・文政時代』であったでしょう。

それでも、瀬戸の磁祖である加藤民吉より少し遅れを取っております。


道八以降、幕末の京都・・・五条坂の陶家にて染付が普及します。




仁阿弥の弟子であった・・・『初代清風与平』(活動時期 文政10~文久3)

のちに京都府の勧業場御用掛となり、万博でも活躍した『和気亀亭』(活動時期 文久~明治初期)



そして・・・『塩野熊吉朗』の子であった『宮田亀寿』


宮田亀寿の頃には、かなり安定した染付作品が作れるようになったようです。


その亀寿に師事し、初期京染付の魅力を遺した最後の名工といわれますのが、『亀屋旭亭』です。


今回はその旭亭作品の逸品のご紹介です。




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【亀屋旭亭 染付松竹梅絵 茶碗】



幅    12cm

高さ   8cm

高台径  5.2cm



製作年代 嘉永3(1850)~明治7(1874)年頃

箱  伝世箱  銘 阿さ日 と在り





まさに、初代清風や、亀寿の感じそのままです。


とても、丁寧に・・・そして呉須なども良質感が溢れております。



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轆轤形成のあと、少し歪ませております。


『松竹梅と山水』ですが、それは決して写実的ではなく・・・


また、中国風のままでもなく。


びっしり、と茶碗というキャンバスに描き込んでおります。


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茶碗に描く、絵付けというのはもはや装飾であり、絵というよりグラデーションと展開の美学でもあります。


茶陶としては、豪華すぎるこの染付は・・・京染付のテクニックの見本市ともいうべきものでしょう。



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染付茶碗、の由来に則って・・・見込みの内剥がしとなっております。



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高台脇は、たっぷりと土の肉厚が取られ・・・低重心による安定感がフォルムだけでなく、お茶を点てる際にもアドバンテージとなっております。


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『旭亭』の丸印です。



『亀屋旭亭』は、文政8(1825)年に五条坂の陶家『桜木清吉』の子として生まれ、成長ののち・・・宮田亀寿に師事しました。


嘉永3(1850)年、25歳のときに独立し『東光山』と号し、染付作品を製作するようになります。

特に『祥瑞写し』に長けていたといわれ・・・まさに、この作品は旭亭の代表的な作風なのです。


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しまわれていた合わせ箱からは・・・旧蔵者が、大切にしてきた様子がうかがえます。


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まぼろしの、京染付アルチザン、『亀屋旭亭』。


その技術を見込んで・・・『画家』であった『初代 伊東陶山』が陶工へと転向するに際して、旭亭に入門します。

初代伊東陶山は、のちに・・・陶芸では5名しか任じられなかった『帝室技芸員』の一人となります。



その高い技術は明治の時代の激動の中・・・残念ながら、幕を下ろすことになります。


廃窯は、明治7(1874)年のことでした。


周りが人手を使い、大きく製作を広げる中で・・・約25年の間、ストイックに造り続けた旭亭ですが、果たしてどれだけの作品が遺されているのでしょうか。



※売却済みです。



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