【三代 古曽部焼 五十嵐信平 兎香合】惺斎 箱 [国焼(地方窯)]
今回は、レアでファニーな香合のご紹介です。
ただ・・・色と照明と、カメラ・・・なにより、私の写真の技術不足で、本来の魅力の半分も画像に反映されてない、ということを先にお断りしておきます。(^^;
遠州七窯のひとつ、に数えられている『古曽部焼』です。
江戸時代中期の茶人である、小堀遠州(1579~1647年)の好みの物を製作する国焼き窯として、指導を行った窯を七つ数えられており、現代に伝わっております。
〇志戸呂焼(遠江:遠州)
〇膳所焼(近江)
〇朝日焼(山城)
〇赤膚焼(大和)
〇古曽部焼(摂津)
〇上野焼(豊前)
〇高取焼(筑前)
しかし! これらのうち、『赤膚焼』と『古曽部焼』のふたつは、遠州没後の窯ですので、遠州の選定でないことは、歴史的に自明しております。
どうやら、『陶器考』という1854年に田内梅軒(米三郎),によって書かれた書物で言及されたものから、広がった言い方のようです。
『遠州の好みそうな』ものを作っている『窯』という意味であったのでしょう。
赤膚焼と同じく、当時のニーズであった遠方である国焼諸窯の写し物の需要に応えて、古曽部でも高麗風のものなどもありました。
しかし、元々そういう茶道具を中心とした窯ではないのです。
そして、他の窯と一番違う点は・・・・
『古曽部地方のやきもの』でなく、『五十嵐家』の窯のみであったことです。
初代である新平(1750~1829年)は、現在の大阪府高槻市である、『古曽部村』の農家である『五十嵐家』の出身です。
京都にて製陶技術を学び、寛政2(1790)~3(1791)年頃に開窯しました。
基本的には一般庶民に使用される、日常食器を大量に作る為の窯で、わずかに茶人用の茶器製作も行っていたのです。
しかし、全体の内の量は僅かであるにもかかわらず、茶人の中では『古曽部焼』は広く知られ、求められるようになっており、のちには贋物も多く作られるほどであったのです。
先述の遠州七窯としての紹介の影響であったのかもしれませんね。
さて、作品のご紹介です。
【三代 古曽部焼 五十嵐信平 兎香合】
幅 3.2cm×4.1cm
高さ 4.2cm
製作年代 明治初期頃
箱 惺斎書付 駒沢利斎 箱
よく、茶道具の兎香合でみられるものと・・・全然違いますね。(^^;
まず、白色でない。
次に、立っている。ピーターラビットです。
ピーターラビットもそうですが、野兎で灰色や茶色は別に、ふつうです。
日本ではなぜだか、白のイメージが強いだけです。
ちゃんと、かわいい口もあります。
まんまるお目目・・・古曽部焼は基本的に、単色釉と鉄絵です。
ここを彫りでの目にしたことで、お目目くりくり感を出しているのです。
鼻の穴まであります。
『香合』、といえば型物で作られることが多いのですが・・・当作品はそうではありません。
『てびねり』からの削り出しで造形されております。
蓋を開けるとさらに珍しいです。
鉄絵にて、『松』のような絵付けがされているのです。
新年のおめでたい意匠に通じます。
このことから、この『兎香合』はおそらく干支の時に、一点ものに近い少量オーダー作品であることが推測されます。
明治8(1875)年ですね。
絵付けに交じって、『丸に二』のような字が見えるのです。
これは、納め先の屋号であったか、もしくは製作番号であったか・・
この辺の造りと印は、古曽部焼らしいところです。
三代の印です。
三代五十嵐信平(1833~1882)年
天保4年に二代の子として生まれます。家業をつぎ,古曾部焼を製作した。釉薬を研究し,中国の辰砂風の小器など,各地の陶磁器を模した種々の製品をつくりだした。明治15年10月に50歳にて亡くなられました。
その後、四代へ継承されますが・・・五代のとき、明治末~大正元年頃に廃窯となってしまうのです。
三代古曽部の頃は、共箱というものはほとんど存在しません。
上記のように、日用品が多かったことと、茶道具はすぐに千家等の箱に仕立てられたため、と推察されます。
この箱は、千家十職である、『駒沢利斎』により作られ、表千家へと送られました。
表千家家元十二代の惺斎による箱書きです。
筆跡より、明治26年頃と推察されます。
これは手に入れた茶人さんが、香合を大切にする為に後年、書付を求められたものです。
来年・・・2023年の御題が『友』と発表されております。
そして、干支は『兎』でございます。
このかわいい兎をお傍に置いて頂きとぅございます☆
この、香合の味わい・・を当ブログにて、伝えきれないのが非常に残念、です!
スマートフォンにて撮影した方がまだ色合いが良く映ってるかもです…
コチラ
是非、実際に手に取ってみて頂きたいと思います。
最初の展示は、明日より開催の丸善書店 日本橋店 3階ギャラリー はんなり骨董楽市となります。
そうぞ、ご高覧下さいませ。
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Journal of FUJII KOUNDO 《問い合わせ先》
藤井香雲堂
TEL 090-8578-5732
MAIL fujii-01@xc4.so-net.ne.jp
※当ブログはPC用サイトでの閲覧を推奨しております。
スマートフォンでご覧頂く場合もPC用表示をご選択下さい。
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ただ・・・色と照明と、カメラ・・・なにより、私の写真の技術不足で、本来の魅力の半分も画像に反映されてない、ということを先にお断りしておきます。(^^;
遠州七窯のひとつ、に数えられている『古曽部焼』です。
江戸時代中期の茶人である、小堀遠州(1579~1647年)の好みの物を製作する国焼き窯として、指導を行った窯を七つ数えられており、現代に伝わっております。
〇志戸呂焼(遠江:遠州)
〇膳所焼(近江)
〇朝日焼(山城)
〇赤膚焼(大和)
〇古曽部焼(摂津)
〇上野焼(豊前)
〇高取焼(筑前)
しかし! これらのうち、『赤膚焼』と『古曽部焼』のふたつは、遠州没後の窯ですので、遠州の選定でないことは、歴史的に自明しております。
どうやら、『陶器考』という1854年に田内梅軒(米三郎),によって書かれた書物で言及されたものから、広がった言い方のようです。
『遠州の好みそうな』ものを作っている『窯』という意味であったのでしょう。
赤膚焼と同じく、当時のニーズであった遠方である国焼諸窯の写し物の需要に応えて、古曽部でも高麗風のものなどもありました。
しかし、元々そういう茶道具を中心とした窯ではないのです。
そして、他の窯と一番違う点は・・・・
『古曽部地方のやきもの』でなく、『五十嵐家』の窯のみであったことです。
初代である新平(1750~1829年)は、現在の大阪府高槻市である、『古曽部村』の農家である『五十嵐家』の出身です。
京都にて製陶技術を学び、寛政2(1790)~3(1791)年頃に開窯しました。
基本的には一般庶民に使用される、日常食器を大量に作る為の窯で、わずかに茶人用の茶器製作も行っていたのです。
しかし、全体の内の量は僅かであるにもかかわらず、茶人の中では『古曽部焼』は広く知られ、求められるようになっており、のちには贋物も多く作られるほどであったのです。
先述の遠州七窯としての紹介の影響であったのかもしれませんね。
さて、作品のご紹介です。
【三代 古曽部焼 五十嵐信平 兎香合】
幅 3.2cm×4.1cm
高さ 4.2cm
製作年代 明治初期頃
箱 惺斎書付 駒沢利斎 箱
よく、茶道具の兎香合でみられるものと・・・全然違いますね。(^^;
まず、白色でない。
次に、立っている。ピーターラビットです。
ピーターラビットもそうですが、野兎で灰色や茶色は別に、ふつうです。
日本ではなぜだか、白のイメージが強いだけです。
ちゃんと、かわいい口もあります。
まんまるお目目・・・古曽部焼は基本的に、単色釉と鉄絵です。
ここを彫りでの目にしたことで、お目目くりくり感を出しているのです。
鼻の穴まであります。
『香合』、といえば型物で作られることが多いのですが・・・当作品はそうではありません。
『てびねり』からの削り出しで造形されております。
蓋を開けるとさらに珍しいです。
鉄絵にて、『松』のような絵付けがされているのです。
新年のおめでたい意匠に通じます。
このことから、この『兎香合』はおそらく干支の時に、一点ものに近い少量オーダー作品であることが推測されます。
明治8(1875)年ですね。
絵付けに交じって、『丸に二』のような字が見えるのです。
これは、納め先の屋号であったか、もしくは製作番号であったか・・
この辺の造りと印は、古曽部焼らしいところです。
三代の印です。
三代五十嵐信平(1833~1882)年
天保4年に二代の子として生まれます。家業をつぎ,古曾部焼を製作した。釉薬を研究し,中国の辰砂風の小器など,各地の陶磁器を模した種々の製品をつくりだした。明治15年10月に50歳にて亡くなられました。
その後、四代へ継承されますが・・・五代のとき、明治末~大正元年頃に廃窯となってしまうのです。
三代古曽部の頃は、共箱というものはほとんど存在しません。
上記のように、日用品が多かったことと、茶道具はすぐに千家等の箱に仕立てられたため、と推察されます。
この箱は、千家十職である、『駒沢利斎』により作られ、表千家へと送られました。
表千家家元十二代の惺斎による箱書きです。
筆跡より、明治26年頃と推察されます。
これは手に入れた茶人さんが、香合を大切にする為に後年、書付を求められたものです。
来年・・・2023年の御題が『友』と発表されております。
そして、干支は『兎』でございます。
このかわいい兎をお傍に置いて頂きとぅございます☆
この、香合の味わい・・を当ブログにて、伝えきれないのが非常に残念、です!
スマートフォンにて撮影した方がまだ色合いが良く映ってるかもです…
コチラ
是非、実際に手に取ってみて頂きたいと思います。
最初の展示は、明日より開催の丸善書店 日本橋店 3階ギャラリー はんなり骨董楽市となります。
そうぞ、ご高覧下さいませ。
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藤井香雲堂
TEL 090-8578-5732
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2022-08-02 19:41
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