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【永楽和全 昻子金襴手 向付】 6客 [幕末京焼]

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幅   約12.3cm   

高さ  約6cm

高台径 約4.8cm

製作年代 天保14(1843)~明治4(1871)年頃

箱 共箱




和全は天保14(1843)年に保全が隠居し、21歳で善五郎の12代目を襲名しました。

保全は嘉永7(1854)年に没するまで一線級の作陶活動を続けており、『永楽家』としては2つの才能がそれぞれに、素晴らしい作品たちを世に出していた黄金期ともいえます。

しかし、和全が実質的に善五郎としてデビューとなったのは、嘉永5(1852)年に『佐野長寛』の次男であり、和全の義弟であります‥『西村宗三郎』と共に『大内山』に築いた『御室窯』です。

この地は、『野々村仁清』の窯跡であり、宗三郎の所有する土地であったといわれます。

それは、仁清の名の威を借り・・・大々的に「永楽家初となる本窯」所有の宣伝の意味合いも含んでのことであったと思われるのです。

江戸初期の仁清・乾山の時代から京焼は、衰退期となっており‥江戸後期に様々な名工・新しい技術などにより、再び花開いてきている、時代背景でもありました。




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和全独自の特徴として・・・・

『金襴手の磁器焼成』、『布目の意匠化』、『削ぎ落としの美学の菊谷焼』

この3点に尽きると考えます。


金襴手に於いては、金泥による絵付けであった保全に対して、和全では『金箔』の絵付けを実現しております。

これによりさらに、中国磁器の侘びた風合いの再現が可能となったのです。


今回ご紹介の『向付』は、まさに和全の得意とするものでした。



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丁寧に形成された陶胎に、丁寧な絵付けが施されております。


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赤絵、の絵付けに染付による『玉取獅子』が見込みに描かれております。

この染付は、やや薄目・・・に思えるかもしれませんが、ここは意図したところでしょう。

外側がかっちりとした赤絵絵付けを中心とした絵付けであったら、内側は濃い呉須の方が合いますが、そとが赤地金襴であるため、その風合いを生かすには内側はこのくらいの呉須がバランスが良いのです。


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高台周りまで計算された造りを為された上、高台内には砂のひっつきまでの再現されております。



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北宋時代の『定窯(ていよう)』にて『金花』とよばれる金箔文様の焼付けの技術が、磁器としての金襴の最初であったといいます。
比較的、地味な柿釉や黒地に金彩のようです。

元時代以後は景徳鎮窯におきましても金襴手が焼かれ、明の嘉靖年間での『白磁五彩地』や『金箔文様』によるものがいわゆる『金襴手』として渡来し、日本に於きましても江戸時代の中期頃に大いに人気となります。

それが故に、江戸時代後期に『手に入れることのできる写し』として国内製の需要があったというのが理解できるのです。





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