【朝日焼 八代目長兵衛 茶碗 十五代極め箱】 [幕末京焼]
幕末期の京焼をよく取り扱う当店ですが・・・意外に、抜けておりますのが『朝日焼』だったりします。
小堀権十郎の箱書があったりするモノは何度か扱いましたが、基本的に・・・朝日焼は、きちんとした代特定が難しく、ほとんどが茶碗の雰囲気や箱書きによって伝世し、流通していることが多いものです。
『遠州七窯』の中でも、「本当に」遠州に認められた由緒正しい窯である『朝日焼』です。
初代『陶作』は慶長年間(1600年頃)に開窯しており、家康や秀忠の時代。
小堀遠州の指導により、茶陶の製作を中心としていたようです。
そして「朝日」の2文字を頂き、また・・・2代目『陶作』(初~3代は同名)の時には遠州の三男の『権十郎』により直筆を頂戴したと伝わります。
寛永年間の野々村仁清に先んじて、当時としては珍しい「押印」の窯となったのです。
江戸初期の三代目までは大いに茶の湯が町衆に迄浸透し、世の中も平和であった為に朝日焼も人気を博したようですが、その後・・4代~7代までは不遇の時代であったようです。
舟守など、他の仕事をしながら細々と作陶していたという話です。
そして、『八代目 長兵衛』の時代。
御所の出入りを許されることとなり、公卿庭田家の庇護のもと朝日焼の復興を果たすのです。
慶安年間(1648~1652年)頃に一時廃絶し、文久1(1861)年に再興されたという説(そうすると9代となるのですが、窯元にて8代よりと公言されております)もありますが、いずれにせよ200年近く表舞台から遠ざかったというのは間違いなさそうです。
今回は、その朝日焼の「中興の祖」となった八代目の希少な作品をご紹介致します。
【朝日焼 八代目長兵衛 茶碗】
寸法 幅12.5cm 高さ6.4 高台径 4.5cm
製作年代 文政8(1825)~嘉永5(1853)年
箱 伝世箱 15代朝日豊斎極め外箱
やや小ぶり、のお茶碗です。
しかし、今の時代でスタンダードとなりつつある・・・「各服点」(かくふくだて)の濃茶用としては、抜群の風合い・サイズなのです。
案外・・無地の小ぶりな茶碗というは見つかりにくいモノです。
さすが、再生を果たしたというだけあって、八代目作品は見事な茶陶を実現しております。
形状の端正さ、口造りの綺麗さ。
外側の轆轤目もミドコロが有るのですが、内側の方はさらに魅惑的なのです。
ここで、伝世箱を見てまいりましょう。
朝日焼茶碗
山代国宇治にて
産す
朝日印 右にあるは
婦るき(古き)手なり
甲書きの方は、「朝日 茶碗」「瀧津瀬」
『瀧津瀬』は、水が激しく流れる浅瀬や滝壺、または瀧自体を指しますが、『万葉集』や『古今和歌集』にも登場する言葉です。
10世紀後半に日本初の長編といわれる、『宇津保物語』という・・のちの『源氏物語』の完成に大いに影響を与えたものにも・・・藤原の君による歌で、「滝津せにうかべるあわのいかでかは淵せにしづむ身とはしるべき」と詠まれております。
お茶を頂いた後・・・内側を見ていると、まるで引き込まれそうな、「激しい流れ」を感じます。
『目跡』(めあと)ですら・・・まるで流れの中を泳ぐ『魚』たちにも見えてくるのです。
昔の人の、「銘付け」は粋なものですね。
古朝日や楽山焼によく見られる、『長石』の嚙み込みもいやらしくなく、手に馴染むように収まってます。
『竹節』高台の造形や、高台内の削りも素晴らしいものです。
今では『朝日』印を代々使用しております。
『朝』の一部が『卓』となっているものは権十郎より拝領した印ですので、「2代目」とする向きがあります。
しかしその他は・・・全て『朝日』ですので、代の特定は伝世品の収集と研究をされております窯元以外は難しいのではないでしょうか?
茶人・道具商は箱書きを頼りに推定していることが殆どと思われます。
逆に、そこまで重要視する必要が無く・・というか、むしろ初期の江戸前期と思いたい、という向きが研究の深化につながらなかったという気が致します。
いずれにせよ、江戸時代に入り・・・茶道の公家から武士、ひいては町衆にまで伝播する中、『宇治茶』の人気の高まりはブランドとしての高級化につながり、同じ宇治の地の『朝日焼』もまた・・・高級茶器の産地として認識されるようになったのです。
100年程での衰退、そして200年もの停滞、その後の200年の始まり・・の息吹を感じる、茶碗のご紹介でした。
極め外箱です。
今回の作品も・・・写真ではうまく魅力を再現出来ませんでした。
実物の方がずっと良いですよ。(^^;
※御成約済みです。
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※当ブログはPC用サイトでの閲覧を推奨しております。
スマートフォンでご覧頂く場合もPC用表示をご選択下さい。
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Journal of FUJII KOUNDO 《問い合わせ先》
藤井香雲堂
TEL 090-8578-5732
MAIL fujii-01@xc4.so-net.ne.jp
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当ブログは、『藤井香雲堂』の各種インフォメーションをお知らせするものです。
インスタグラムやツイッター、Facebook等のSNS全盛時代ですが・・
ブログでしか表現出来ない情報をお届けする為、『敢えて』ブログ形式に拘っております!
お問い合わせはメールもしくはお電話にてご気軽にどうぞ。
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【BASE 215】 大阪市浪速区日本橋東2-1-5 大阪南美術会館内
当店の出張営業所です。現在では『岸和田本店』よりこちらを中心に活動しております。
当ブログにてスケジュールをご確認の上、上記より事前に『ご来訪のご連絡』を頂戴致したく存じます。
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小堀権十郎の箱書があったりするモノは何度か扱いましたが、基本的に・・・朝日焼は、きちんとした代特定が難しく、ほとんどが茶碗の雰囲気や箱書きによって伝世し、流通していることが多いものです。
『遠州七窯』の中でも、「本当に」遠州に認められた由緒正しい窯である『朝日焼』です。
初代『陶作』は慶長年間(1600年頃)に開窯しており、家康や秀忠の時代。
小堀遠州の指導により、茶陶の製作を中心としていたようです。
そして「朝日」の2文字を頂き、また・・・2代目『陶作』(初~3代は同名)の時には遠州の三男の『権十郎』により直筆を頂戴したと伝わります。
寛永年間の野々村仁清に先んじて、当時としては珍しい「押印」の窯となったのです。
江戸初期の三代目までは大いに茶の湯が町衆に迄浸透し、世の中も平和であった為に朝日焼も人気を博したようですが、その後・・4代~7代までは不遇の時代であったようです。
舟守など、他の仕事をしながら細々と作陶していたという話です。
そして、『八代目 長兵衛』の時代。
御所の出入りを許されることとなり、公卿庭田家の庇護のもと朝日焼の復興を果たすのです。
慶安年間(1648~1652年)頃に一時廃絶し、文久1(1861)年に再興されたという説(そうすると9代となるのですが、窯元にて8代よりと公言されております)もありますが、いずれにせよ200年近く表舞台から遠ざかったというのは間違いなさそうです。
今回は、その朝日焼の「中興の祖」となった八代目の希少な作品をご紹介致します。
【朝日焼 八代目長兵衛 茶碗】
寸法 幅12.5cm 高さ6.4 高台径 4.5cm
製作年代 文政8(1825)~嘉永5(1853)年
箱 伝世箱 15代朝日豊斎極め外箱
やや小ぶり、のお茶碗です。
しかし、今の時代でスタンダードとなりつつある・・・「各服点」(かくふくだて)の濃茶用としては、抜群の風合い・サイズなのです。
案外・・無地の小ぶりな茶碗というは見つかりにくいモノです。
さすが、再生を果たしたというだけあって、八代目作品は見事な茶陶を実現しております。
形状の端正さ、口造りの綺麗さ。
外側の轆轤目もミドコロが有るのですが、内側の方はさらに魅惑的なのです。
ここで、伝世箱を見てまいりましょう。
朝日焼茶碗
山代国宇治にて
産す
朝日印 右にあるは
婦るき(古き)手なり
甲書きの方は、「朝日 茶碗」「瀧津瀬」
『瀧津瀬』は、水が激しく流れる浅瀬や滝壺、または瀧自体を指しますが、『万葉集』や『古今和歌集』にも登場する言葉です。
10世紀後半に日本初の長編といわれる、『宇津保物語』という・・のちの『源氏物語』の完成に大いに影響を与えたものにも・・・藤原の君による歌で、「滝津せにうかべるあわのいかでかは淵せにしづむ身とはしるべき」と詠まれております。
お茶を頂いた後・・・内側を見ていると、まるで引き込まれそうな、「激しい流れ」を感じます。
『目跡』(めあと)ですら・・・まるで流れの中を泳ぐ『魚』たちにも見えてくるのです。
昔の人の、「銘付け」は粋なものですね。
古朝日や楽山焼によく見られる、『長石』の嚙み込みもいやらしくなく、手に馴染むように収まってます。
『竹節』高台の造形や、高台内の削りも素晴らしいものです。
今では『朝日』印を代々使用しております。
『朝』の一部が『卓』となっているものは権十郎より拝領した印ですので、「2代目」とする向きがあります。
しかしその他は・・・全て『朝日』ですので、代の特定は伝世品の収集と研究をされております窯元以外は難しいのではないでしょうか?
茶人・道具商は箱書きを頼りに推定していることが殆どと思われます。
逆に、そこまで重要視する必要が無く・・というか、むしろ初期の江戸前期と思いたい、という向きが研究の深化につながらなかったという気が致します。
いずれにせよ、江戸時代に入り・・・茶道の公家から武士、ひいては町衆にまで伝播する中、『宇治茶』の人気の高まりはブランドとしての高級化につながり、同じ宇治の地の『朝日焼』もまた・・・高級茶器の産地として認識されるようになったのです。
100年程での衰退、そして200年もの停滞、その後の200年の始まり・・の息吹を感じる、茶碗のご紹介でした。
極め外箱です。
今回の作品も・・・写真ではうまく魅力を再現出来ませんでした。
実物の方がずっと良いですよ。(^^;
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2023-12-19 16:42
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