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四代清風与平 碧涛璘釉花瓶 [WEB BASE(商品紹介)]

四代清風与平の珍しい作品です。

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碧涛璘釉花瓶

へきとうりんゆう かびん

青い波のような玉色の釉薬でしょうか。

染付が主の初代・二代に対して、三代と四代は多種の釉薬を新開発し、自由に発色させることが出来ました。

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その中でもこの釉薬はかなり珍しいものです。

深みのあるだけでなく、品のある輝きを感じます。

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サイズも大き目で、展観用などの特別作品と思われます。

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彫り銘

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四代清風与平(1871~1951)

号 梅渓、成山。

三代清風与平の次男で、父に陶技を、田能村小斎に絵を学びました。

釉下彩や単色釉の秘儀を受け継ぎ父に劣らない作品を多数製作。その上で碧珀釉等、新しい釉薬を用い

て独自の技法を極めました。

昭和26年歿80才。


※売却済み


眞葛長造 仁清信楽写 泊舟香合 鵬雲斎書付 [WEB BASE(商品紹介)]

眞葛長造

寛政9年(1797)~万延元年(1860)

当店では香山はもちろん、出来うる範囲でその父であります長造作品も取り扱っております。

今回ご紹介するのは、長造の大変珍しい香合です。


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長造は江戸時代の後期に、京焼の祖ともいうべき野々村仁清と尾形乾山の精神的・技術的後継者ともいえる名工です。

そのストイックに伝統的なものを取り込みつつ大胆に新しいものを包括する作風は、息子である初代眞葛香山にも受け継がれていると常々思っております。

今回の作品は、仁清の中でも渋いシリーズになる仁清信楽の写しです。

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長造の香合は薄造りで、内側を削り込むものが仁清写では特徴的ですが、このようなザクッとした造りではまた別の味わいで勝負しています。

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この迷いなく造形したものに、わずかに釉薬を使い仕上げて粗野なようで繊細な香合に仕上げてます。

印は代表的な”真葛”印です。

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共箱は珍しい最晩年の自筆タイプです。こちらも流通は少ないものです。


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五代香斎の極め外箱と鵬雲斎の書付もございます。


長造は、若くして青木木米に師事し、その後東山真葛ヶ原の一角(今の円山公園南側)で窯を築き、作陶を始めました。その窯の場所から、観勝寺安井門跡より「真葛」の号を賜り、晩年「香山」と名乗り、後に長兵衛家が華頂宮博経親王(1851~1876)より「香山」の号を頂きました。

素地土には東山の白土、伏見大亀谷の赤土や信楽の小石混じりの土、出石の磁器土などを使っております。代表的な信楽の土に薄いブルーの釉薬のお茶碗、そしてこのような仁清信楽手では信楽の土を使用していると思われます。

かつて公開された長造の展観などでは類品が一切公開されておらず、大変希少な長造作品となります。


「泊舟」と書いて”はくしゅう”と読みます。 茶会ではとまりぶね、とまぶねとも聞きますが・・。

文字通り、岸に停泊している舟のことです。

舟というのは色んな表現が浮かびます。

大いなる夢へ向かうもの。

新しい門出。

桜や紅葉の時期の舟遊び。


泊舟としては・・長い人生の中で一休み、また節目の区切りの時。


色々とお見立て下さいませ。

三代清風与平 青華笹の図 盃 [WEB BASE(商品紹介)]

続いて、三代清風与平の作品をご紹介します。

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三代清風は眞葛香山と並んで釉下彩の名手でした。

このような小品にもその技術が使われております。

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元々青色しかなかった日本の磁器ですが、他の色を入れられるようになりました。


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なにげないところが、上品です。




三代清風与平 青磁水指 [WEB BASE(商品紹介)]

三代清風与平(1851-1914)は、 江戸時代から続く文人文化を背景に、中国磁器と関わりの深い作品の制作により、陶磁器分野で初の帝室技芸員に選出されたことで知られています。

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なんとも凛としたフォルムの水指です。

サイズはやや小さ目ですが、形状と相まって独特の世界観が出ております。

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三代は清風は二代の養子に入り、明治期の激動に挑みます。

香山と並び、釉下彩磁器の技術を随一のレベルまで高めました。

1878年パリ万博、1893年シカゴ・コロンブス、1889年パリ万博などに作品を出品し、明治23(1890)年第3回内国勧業博覧会において、陶磁器部門最高の、妙技一等賞を受賞。

その後、陶芸界では最初の帝室技芸員に任命されます。

当時、青磁作品はかなり高貴な釉薬と位置付けられ、もちろんその製法も難しかったこともありますが・・・国内の青磁釉作品は高額品で売買されておりました。

三代も晩年には秘色釉という青磁を生み出しております。


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この作品の青磁は中国の青磁を再現したもので、上品にやんわりとした発色が出ております。

長板や、置き水指でもよいですし、立礼卓にも合いそうです。




宮川香山(眞葛香山)仁清意結文香合 即中斎書付 [WEB BASE(商品紹介)]

香山の香合の佳品が入りました!

仁清意結文香合です。

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結文香合は仁清も色々と製作しており、仁清・乾山の継承者ともいえる眞葛窯でも長造以来、多数作品があります。

ただ・・・香山の例に漏れず、全部違うモノばかりです。(^^;

当店も結文は3点目ですが、全く似ても似つかないものだらけ。

本当に型物で作ってるのかという位色んなパターンがあります。

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今回の結文香合は大阪市立東洋陶磁美術館に所蔵されております、野々村仁清の作品と形状が似ております。

ここで仁清について、少し。

京焼色絵陶器を完成させたのが野々村仁清です。

丹波国桑田郡野々村(現在の京都府南丹市美山町大野)の生まれ。若い頃は粟田口や瀬戸で陶芸の修業をしたといわれ、のち京都に戻り、正保年間(1644年 - 1648年)頃仁和寺の門前に御室窯(おむろがま)を開きました。
中世以前の陶工は無名の職人にすぎなかったが、仁清は自分の作品に「仁清」の印を捺し、これが自分の作品であることを宣言した。そうした意味で、仁清は近代的な意味での「作家」「芸術家」としての意識をもった最初期の陶工であるといえよう。仁清の号は、仁和寺の「仁」と清右衛門の「清」の字を一字取り門跡より拝領したと伝えられている。

ただ、二代・三代がいたという話もあり、また作品の数など・・近年では、香山と同じく窯の職長格、リーダーでありもちろん技術開発・作品プロデューサーであり多数の陶工をかかえ、工房全体としての名前という解釈が正しいようです。
しかし、それは近年の窯モノや、職人作というのとは一線の画したような感覚で捉えて頂きたいと思います。

作品に話を戻しましょう。

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本歌を超越する、色絵の繊細さと配色・彩色の技術レベルです。

蓋を開けますと・・・

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中にも見事な色絵です。

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表千家十四代家元 即中斎の割書(花押)があります。

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こちらは箱書きの方です。

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香山の陶器香合はほぼこの印が使用されます。この印は仁清を意識したものと思われます。

作品は昭和初頭頃の製作です。

茶道が再び盛んになり、香山も二代に代替りし、千家との繋がりも出来茶道具の優品をどんどん作り出している時期です。

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共箱

微小な窯切れがありますが、問題ないレベルです。

なにより、このような作品がこの状態で、箱も揃って出るのは希少かと思われます。


御深井焼(おふけやき) 祖母懐三嶋茶碗 [WEB BASE(商品紹介)]

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御深井焼は尾張徳川家の御用庭窯です。

他藩に比べて陶業を保護した尾張藩が寛永年間(1624~1644)名古屋城の御深丸の一郭の瀬戸山に尾張藩御庭焼を開窯し、特に茶の湯に熱心だった十二代徳川斉荘(なりたか)公(1810~1845)の時代に最盛期を迎えます。

城外不出で使用を禁じた秘蔵の祖母懐土と呼ばれる粘土質の土で焼成され、赤津の陶工を始め尾張の選ばれた名工が参画し、また歴代の尾張徳川藩主等も制作した別格の窯です。

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幕末まで断続しながら続けられたが明治4年で廃窯となります。

この作品は高麗三嶋の写しの意匠で、日本ではその意匠から連想され狂言袴という銘のものも存在しますが、当作品は収められていた箱(所有されていた茶人の方による)に、縦の文様を別の時雨という見立てで、歌をしたためられております。

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足引の山かき くもる風(木枯し)に しぐれも われも なりぬべくなり


まだ出典元は特定できておりませんが、本のコピーが残されており、この作品は所載品であることがうかがわれます。

九代白井半七 水仙之画蓋置 [WEB BASE(商品紹介)]

続いて、半七作品のご紹介です。

きれいな水仙を描いた蓋置です。 水仙の花は12月〜4月の間に開花しておりますので、今月までですね。

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琳派の感じがよく出ております。

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内側に赤色で書き銘が入っております。

※売却済み


9代白井半七  1928(昭和3)年~1987(昭和62)年

8代の様式を受け継ぎ、より洗練された作風に昇華させる。

1980(昭和55)年に兵庫県三田市大原に移窯しました。


少し、話は逸れますが・・・水仙について少し余談を。

日本には、中国経由で伝わりました。

清楚な姿と香りが仙人のようだということで「水仙」という名前になったそうです。

水仙は学名ではナルシサスと呼ばれます。由来はギリシャ神話の登場人物であります、ナルキッソスとう美少年だそうな。

神話の中で、ナルキッソスは、その美しさにさまざまな相手から求愛されるものの、ことごとく冷たくあしらい、かえって恨みを買ってしまい、その恨みを聞き入れた復讐の女神ネメシスが呪いをかけてしまいました。

その呪いとは、水鏡に映った自分自身に恋してしまうとうもの。

水面の中の像は、ナルキッソスの想いに決して応えることはなく、彼は死んでしまい、その体は水辺でうつむきがちに咲く水仙に変わったといわれています。

あたかも自分を覗き込むかの様に咲く水仙のその姿が物語っております。

ナルシストの語源ですね。(^^;

八代白井半七 雪松香合 [WEB BASE(商品紹介)]

全国の半七ファンの皆様、お待たせいたしました。!(?)

当店で久々の白井半七作品の入荷です。

当店では、半七を取り扱うのはそう多くは無いのですが・・・何故だか当ブログの検索ランキングでは圧倒的に”白井半七”が上位です。

香山では上位ではありません・・・(-.-)

理由は簡単です。半七は茶道具界以外ではマイナーな存在なのです。

元々は美術品でもありませんし、千家十職でもありません。

それでも、独自の乾山写しの風合いが受け入れられ・・・茶道界と料理界では確立した地位がございます。

ひところ、よりは値段は落ち着いてきた感がありますが・・。


さて、作品の紹介です。

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八代白井半七 雪松香合

八代白井半七 1898(明治31)年~1949(昭和24)年

小林一三の招きによって兵庫県宝塚市に移窯し、
仁清・乾山写し等の華やかな京焼の作風を採り入れました。


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なかなか、味わい深い作品です。

このレベルだとなかなか扱い応えがあります。

半七の例にならって、品名はございませんので雪松香合と名付けております。

しかし、箱には”朝暘”と半七が書かれております。

それは・・・?

昭和24年の勅題が”朝雪”だったからです。

タイトルと作品とを合わせて勅題に因むようになっています。

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印も作品の大きさに似合わず大き目の印が気持ちいいように押されております。

半七としてはかなりのおすすめ作品です!


明日も半七、続きます。


※売却済み

木地猿茶挽長角香合 [WEB BASE(商品紹介)]

本日のご紹介はいつもと少し・・・毛色の違った作品になります。

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木地 猿 茶挽 長角香合  [江戸時代]


本体はきちんと成形した木地に上質な蒔絵を施し、表面は木地を活かした意匠です。

この香合の肝、となるのは表面の鉛の造形であります。

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「猿」が臼で茶を挽いています。


元々は中部地方の数奇者さんが猿に因んだものを中心に面白いお道具を収蔵されてのが、蔵整理にて美術倶楽部で出されたものの一つです。

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角には金の蒔絵で唐草紋様が施されております。

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蓋裏と、そして身の底には月と秋草が続きで描かれており、蓋を開いた状態でパノラマのようです。

こちらは砥ぎ出し蒔絵にて、閉鎖された空間の平面に見事に季節の情感を閉じ込めております。

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時代香合の例にもれず、錫縁になってます。

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底面も丁寧に仕上げられております。


炉開きの前の秋にお茶の準備に勤しむ猿の図・・というだけでも面白いものですが、もう少し何か考えてみることにいたします。


猿、と抹茶。


そこで浮かび上がるのは、茶所で有名な宇治田原町にあります「猿丸神社」です。


三十六歌仙の一人である猿丸大夫がご祭神となっている神社です。

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狩野探幽筆 猿丸大夫図

「奥山に紅葉ふみわけ鳴く鹿の 声聞く時ぞ秋はかなしき」の歌で知られる猿丸大夫は古来、

歌道の神として猿丸大神と崇められ、その徳を慕う多くの文人墨客がこの地を尋ねています。

また近世に入ってからは、瘤・出来物や体内の癌種の病気平癒祈願に霊験があるとして、

こぶ取りの神として信仰されるようになりました。

御本殿に供えられている木のコブは、瘤を取って癒していただいた人や

種々の病気の悩みが治ってお蔭を受けた人々が、御礼の意味で奉納したものです。

今日では、何病も瘤として祈願すれば平癒祈願の御神助を授かるとして、南山城地方を中心に広く

篤い崇敬を集め、家内安全・無病息災・交通安全・厄除、更に勉学・受験合格の守護神として、

親しみを込めて、“猿丸さん”の呼称で信仰されて、毎月十三日の月次祭にその霊験を慕う人々の参詣で

賑わいます。

600年後半とも800年代の人物ともいわれますが詳細は不明です。

古今和歌集には猿丸大夫の記述があることから、それ以前の人物ではあるのは間違いないようですが、そもそもこれが本名ではない、という話もあります。

近年では柿本人麻呂と同一人物では?という説もあったりするようです。


ただ、猿の意匠というのだけでなく臼を挽いていることが、様々な解釈と妄想をかきたてさせる作品ですね。

現代と違い情報に溢れていない古の時代。芸術・美術・道具といったものに、己の知識・経験などから様々な想いを込め、捻ったりしてモノを産み出していた時代です。

現代人の我々が、浅はかな知識で計れない隠された秘密を探し出すのも、また一興です。




矢口永寿 九谷焼鴛鴦絵長角向付10客 惺斎好み [WEB BASE(商品紹介)]

さて、もう4月です。

まっっったく、春の予感がいたしません。まだ肌寒いですし、桜もこれっぽっちも見かけません。(^^;

とはいえ、4月からは当店も新シーズンに入ります。

忙しくなりそうな予感もありますので、そろそろ商品紹介も心機一転スタート致します☆


食の器でありつつ、茶道具でもある作品をご紹介致します。


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矢口永寿 九谷焼鴛鴦絵長角向付10客 惺斎好み

なかなか流通の少ない作品です。

九谷焼では、人間国宝を輩出している徳田八十吉や吉田美統を始め多数の著名作家がいらっしゃいます。

しかし茶陶となりますと、やはり須田青華と矢口永寿に尽きます。

前者は魯山人とのゆかりから、器の世界でも名が知られますが、永寿は千家との繋がりから書付道具も多く、その作品達は日本中の茶会で活躍してきました。

この向付は、表千家十二代家元 惺斎宗匠(1863年-1937)が『お好み』として造らせた作品です。

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なので、書付のみならず・・・・


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側面まで自筆で丁寧に。


作品の画像に戻りましょう。

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九谷焼の魅力は、やはり磁器に上絵です。

磁器物といえば、元祖釉下彩の染付が主流で近年では様々な色物がありますが、九谷焼は特有の配色と丁寧な絵付けから生まれる世界観が、美術に浅い人から深い人まで魅了します。

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鴛鴦が色違いに配置してあります。

また側面には宝袋のような絵付けが施されております。

やや、端反りにしてあり底面より大き目に錯覚させます。

そうなんです、この向付の真髄は意匠の良さもさることながら、そのサイズにあります。

幅 13㎝×9cm 高さ 4㎝

茶事では利休形の折敷を中心に使われます。小間での茶事に対応しておりそのサイズは一般の折敷より小さ目になります。

惺斎宗匠がお好みにされたこの向付は、最大幅のサイズは広げず、かつ底面をしっかり取って盛り付けには支障をきたさないよう、そして小さく感じさせないように端反りにして・・という工夫が盛り込まれております。

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古九谷のように角に福の字の書き銘を入れ、左下に隠し印として自身の永寿印を押してあります。


初代矢口永寿の作で、1921年 大正10年のお好みであるのがきちんと書付にしたためられております。

96年前の作品ですが、まるで新品のような状態で10客 無傷完品で伝世しております!


※ご成約済です。


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