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初代 伊東陶山 菱形 水指 橋本関雪漢詩入 [新入荷]

先日のご紹介作品の続きになります。

今度は、たっぷり?書き込まれた方の作品になります。

基本的に、あまりこういうタイプは食指が伸びない方なのですが・・・見ていると、なんだか形状も良いですし、長板に置いた光景がふと、目に浮かんだのです。

そうなると、手に入れずには居れません。(^^;

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初代 伊東陶山 菱形 水指 橋本関雪漢詩入


日本画家 橋本関雪(1883~1945)は、兵庫県神戸市に生まれました。

東京画壇在籍後、京都に移り大正期の京都画壇において活動。四条派の写実的な動物の描写を取り入れた新南画、新古典と呼ばれる絵画を次々と発表し、大正・昭和期の画壇において中心的人物の一人となります。

帝国美術院会員、帝室技芸員、シュバリエドレジョン・ドヌール勲章授与等多数の華麗な経歴を重ねました。 1945年没。

この水指、古染付である菱午水指を・・・文人趣味的に再解釈して造られております。

まずは、表面から・・・。


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『独り異郷に在って異客と為る』


 独在異郷為異客 独り異郷に在りて異客(いかく)と為る

 毎逢佳節倍思親 佳節(かせつ)に逢ふ毎に倍〃(ますます)親(しん)を思ふ

 遥知兄弟登高処 遥に知(し)兄弟(けいてい)高きに登る処

 遍挿茱萸少一人 遍(あまね)く茱萸(しゅゆ)を挿して一人(いちにん)を少(か)くを


 九月九日憶山中兄弟  九月九日山中(さんちゅう)の兄弟(けいてい)を憶(おも)ふ  
 王維(おうい)



 (口語訳)

九月九日=重陽の節句。
 山中=テキストによっては山東(上図)とするものもある。
 異郷=よその国。ここでは長安。
 異客=故郷を離れて旅をしている者。
 佳節=めでたい節句。
 親=ここでは一族の意。
 兄弟=ここでは弟のこと。一つ違いの弟王縉は総理大臣になった。
 登高処=処は、・・・する折、場合の意味。
 挿茱萸=和名を「かわはじかみ」といい、赤い実が成る。邪気払いの力があると信じられてい  た。九月九日の節句には茱萸を挿し、高所に登って菊酒を飲み、悪気を避け疫病を防ぐ風習が  あった。
 少一人=少は欠けている。一人は王維自身のこと。

 (わたしは)ただひとり他郷にあって旅の身となっている。
 (それゆえに)めでたい節句の日になると、いつもよりいっそう肉親のことが(なつかしく)思 いやられる。
(思えばきょうは重陽の節句である)はるかに(遠い故郷の様子が)しのばれることだ。
 兄弟たちは(そろって)小高い山に登っていることであろう。
 みんな挿茱の枝を(頭に)さして、そしてその中に(わたし)ひとりだけ欠けているのを(まざ まざと心に描くのである)。

 自分一人が欠けているから弟たちは懐かしがっているだろうなと思い、自身も懐かしがる、とい う間接的な表現になっている。
 王侯貴族とつきあいながらも年十七と若さが詩からにじみ出ています。




関雪は、父が漢詩に長けてたことから影響を受けたのでしょうか、自身も漢詩を得意としていたようです。

明治43年(1910):27歳の5月に、漢詩集『関雪詩稿』を出版しております。


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裏面に参りましょう。

  『寒食上作』     

  広武城辺逢暮春   広武(こうぶ)の城辺 暮春(ぼしゅん)に逢い

  汶陽帰客涙巾沾   汶陽の帰客  涙巾(きん)に沾(うるお)う

  落花寂寂啼山鳥   落花寂寂(せきせき)たり  山に啼ける鳥

  楊柳青青渡水人   楊柳青青(せいせい)たり  水を渡るの人

  王維

  (口語訳)
   広武古城のあたり 暮れゆく春のころ

   汶陽の人と逢い   涙で巾(きれ)は濡れ果てる

   花は寂しく散り    山には啼く鳥の声

   柳は青々と茂り   川には渡る人の影


 王維は長途の旅をして蜀からもどってきますが、都へ着くとすぐに洛陽方面の地方官に出されたらしく、二年ほど洛陽付近の任地を転々とします。そんななか重要な詩を書きます。
退屈な日々を過ごしていた王維は、ある寒食節の日、それは開元十六年(728)の清明節(陽暦四月はじめ)の前と思われますが、水のほとりで「汶陽の人」と再会しました。「広武」は水に近い山の名で、その麓に広武城(河南省鄭州市の北)がありました。広武城辺の「暮春」(晩春)がいかに素晴らしいものであろうとも、晩春の景に出会うことが「涙巾に沾う」ほどの重要事とは思われません。逢ったのは「汶陽の人」でしょう。
「帰客」とは地方から都にもどる旅人をいい、汶陽の人は王維が洛陽の近くで勤務しているのを知り、会いに来たものと思われます。転結句は整然とした対句でまとめられており、上(しじょう)の渡津(としん)の風景を詠っているように思われますが、「水を渡るの人」は、その日の旅宿にもどる「汶陽の人」でなければなりません。そのように考えてこそ、この詩の痛切な感じは理解できるものと思います。(王維解説HPより抜粋)


唐の詩人王維は十五歳のころ山西省から受験勉強のために都の長安に出ました。
勉強の合い間に上流階級の家に出入りして実力を認めてもらっていました。
王維の場合、絵と詩と音楽に秀でていたため王朝でも評判になり、サロンの寵児になりました。
二十歳ごろ(数えで二十一)進士に及第しました。


頭が痛くなってきました・・・(^^;

作品に戻りましょう。


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摘みは”柘榴”

中国では子孫繁栄を現す意匠です。

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初代伊東陶山の印

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共箱 甲

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共箱 裏

”白沙山人” は関雪の号です。 大正5年に自身の文人哲学を具体化した住居と庭園をアトリエをして完成させ、”白沙村荘”と名付けました。

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煎茶で重んじられていた文人趣味というのは、ある意味・・・知識や文化・美術に長けた人たちがサロンに集まって語り合うことを楽しみとする趣向です。

これはもちろん、抹茶でも通じるところがあるのですが大寄せでは伝えにくいところもあり、近年では解りやすいお道具が主流にシフトされてきてました。

しかし、またこういう話して、論して楽しむ・・・というのが復権しつつあるように思います。

なにより、面白いじゃないですか・・。

両面を時期で使い分けるのもよし、菱ということで3月にも、また馬ということで5月にも。

あとは、お使い頂く方にお任せいたします☆


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※ご成約済みです。


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お問い合わせ先  藤井香雲堂 藤井和久

メール fujii-01@xc4.so-net.ne.jp

直通電話 090-8578-5732

まで、どうぞ宜しくお願い申し上げます。

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