SSブログ

仁阿弥道八 絵高麗 茶碗 [国焼茶陶【江戸後期】]

絵高麗茶碗です。

元は茶人により『絵のある』高麗茶碗として呼びならわされていたものですが、その後の研究により中国の磁州窯系のものと分類されております。

絵高麗は、文禄・慶長の役(1592~98)以後、渡来した、やや粗い白化粧の陶胎の土に、鉄描の黒い絵のあるお茶碗のことです。


さて、今回のご紹介の作品は・・・・仁阿弥道八です。


DSC00727-1.jpg

仁阿弥道八 絵高麗 茶碗


幅 13.8㎝ 高さ 5.5㎝



DSC00728-1.jpg

反対側からも、どうぞ。


鉄絵の勢いある筆で花を描いております。


DSC00730-1.jpg


見込みの部分は安南にも通じる感じです。

内側に、一カ所・・・辰砂のような釉の発色が見られます。窯変によって出たものでしょう。

ちょうど・・・飲み口から飲み終わった後にちらりと目に入るお愉しみです。


DSC00731-1.jpg

格調高い釉調で、さすが仁阿弥らしい上がりです。


DSC02407-1.jpg


仁阿弥は、江戸後期の京焼の世界に於いて、粟田系の古清水風でもなく、師である奥田潁川のような中国陶磁器の写しでもなく、国焼や高麗の写しを。。。それぞれの趣きを巧みにとらえ、独自の工夫を凝らしてひとつの世界を開いているのが特徴です。


DSC02411-1.jpg

高台回りの形成も手練れの陶工らしさです。

DSC00733-1.jpg

印銘です。


DSC00724-1.jpg


共箱です。


仁阿弥の共箱と使用される印・書き銘の組み合わせには一定のパターンは無く、それぞれの精査と作品からの判断が必要となります。


DSC00727-1.jpg


5月~9月までお使いになれる形状です。

DSC02408-1.jpg


抹茶を点ててみました。 

お茶碗の本懐は・・・この色が入ってから、さらに変える表情から受ける印象です。


仁阿弥の称は、文政9年(1826)に仁和寺宮から法橋(称号です)を叙せられる際に拝領した『仁』の字と、醍醐三宝院宮より『阿弥』号を賜ったことから、併せて『仁阿弥』と称されたものです。

ですので、この作品は1826年以降、三代へ代を譲り伏見桃山へ隠居した天保13年(1842)迄の間の作品となります。


仁阿弥の絵高麗は、刷毛目や楽に比して伝世数が少ないアイテムです。

是非コレクションに加えてお愉しみ頂きたく存じます。









※御成約済みです。


+++++++++++++++++++++++++++++++++++++

藤井香雲堂 JFK お問い合わせ先 


【メール】 fujii-01@xc4.so-net.ne.jp


【お電話】090-8578-5732


+++++++++++++++++++++++++++++++++++++


nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。