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【OL-4】 藤原雄 備前掛花入 [ONEGORO LINE]

明日は端午の節句・・・・です。

元は男子の健やかな成長を願うものでしたが、いつごろよりか・・・”子供の日”となりました。


『端午』


なんで、たんご?という疑問は常々思いつつも・・・意外と説明すると難しいものですので、この機会に整理してみます。(^^;


『端』は、ものごとの『はし』ということで、月の始めを指しておりました。

ですので、月の最初の『午(うま)』の日を節目として節句としていましたが、旧暦の5月が『午』の月にあたることと、同じく『午』の字が『五』にも読めるという事から、5月5日が端午の節句になっていった経緯のようです。

陰陽で奇数を重ねると縁起が良いということもあるようで。



ここからは、史実と俗説が混じります。

今からおよそ2300年前の中国に、屈原(くつげん)という詩人がおり、国王の側近として仕え、その正義感と国を思う強さで人々から大変慕われていましたが、陰謀によって失脚し国外追放とされてしまいます。

国の行く末に失望した屈源は、汨羅(べきら)という川に身を投げて亡くなり、その日が5月5日だといわれています。

国民はその死を悲しみ、川に沈んだ屈源の身が魚に食べられてしまわないよう、小船の上から太鼓を叩いて魚をおどしたり、供物を投げ入れて弔いをしていました。

しかし、その供物も、屈原のもとに届く前に悪い龍に盗まれてしまいます。

そこで、龍が苦手である楝樹(れんじゅ)の葉(茅や笹という話も)でもち米を包み、邪気を払う五色(赤・青・黄・白・黒)の糸で縛ってから川へ流すようにしたところ、無事に屈原のもとへ届くようになったと。

このことから、粽(ちまき)が災いを避けるとされ、端午の節句と組み合わさったということです。


と、前置きが長くなりましたが・・・(^^;

粽形、といえます掛花入のご紹介です。


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藤原雄 備前掛花入


幅8.2㎝ 高さ18㎝


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”ぼた餅”とも言われる備前特有の景色が良く出ております。


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表面の上がり、も非常に良いです。


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端正な口造りです。

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書き銘です。

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共箱


藤原 雄 は人間国宝として有名な備前作家です。

1932年6月10日 生  2001年10月29日没

1996年に人間国宝に認定されます。

父の藤原啓もおなじく人間国宝でした。


よく、父である啓とも比べられ、また近代備前焼としては、数が多く名前を良く聞きますが、雄の魅力とはどこにあるのでしょう?


藤原雄は、実は視力が非常に悪かったそうです。

右目は0.03で、左目は全く見えなかったとか。


しかし、父の強い勧めで健常者と同じ学校へすすみ、さらに東京の大学へも。

そこには人の数倍もの努力があるのですが、視力の代わりに高い感受性と見識を身に付けることとなりました。

(スティービーワンダーや辻井伸行などもそうですね)

新聞記者をしていたところ、小山富士夫に備前へ戻ることを勧められ家業に邁進することに。

父や自身の交友関係などから、多大な影響を受け・・・北大路魯山・川喜多半泥子・藤本能道・田村耕一といった陶芸家から鵬雲斎、さらには芸能界や料理界にも、その幅は広がり独自の”美意識”を伝統的な備前焼へ投影することで成功したようです。

正統派ともいえる、金重陶陽や父・啓とはまた異なるモダンさが人によっては好き嫌いが分かれてります作品もありますが、独自の世界観の構築と、確かな技術力をもちえた陶芸家でありました。


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備前というのは、無釉であるが故に・・・その土・形状・窯変によるものをいかに精神性を込めてコントロールするか、に尽き、一見ではどれも同じに見えてしまいつつ、逆に見るものの感性や教養も要求される六古窯のひとつなのです。





※売却済みです。


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藤井香雲堂 JFK お問い合わせ先 


【メール】 fujii-01@xc4.so-net.ne.jp


【お電話】090-8578-5732


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