SSブログ

前端雅峯 宗和好み 銘々盆 【10枚】 [食の器]

数日前から、いよいよ”初夏”という言葉がふさわしい季節になってきました。

本日の非常事態宣言 延長の発表内容は、ピタッとこの状況が終わることは無いという前提で・・・医療が破たんしないようにすることと、いかにこのウィルスが存在する世界と共存して、気を付けながらも新しい生活を構築するか、という事の宣言でもあったと思います。

そういうことからも、”茶会”や”懐石料理”の形式も工夫・変革が必然となってくることと予測されます。

そこで、本来でしたら・・・これからの風炉の時期や、立礼などでも活躍する”銘々盆”。

このアイテムこそが、ソーシャルディスタンスをもちつつ、おもてなしが出来る菓子器でしょう。


DSC02475-1.jpg


前端雅峯 宗和好み 銘々盆 【10枚】


幅 18.2㎝ (6寸) 高さ 1.8㎝(6分)


なかなか、銘々盆では珍しい種別です。

1枚をアップしてみましょう。


DSC02476-1.jpg


デザインは、伝統的にみえて大変洒落ております。

その要因となるのが、薄い造りです。

DSC02477-1.jpg


DSC02481-1.jpg


石川県の白山山麓から採取した”立割欅”を素材とし、山中塗のお家芸といえる・・・繊細な轆轤挽による形成です。 

盆全体を摺漆を施し、見付中央は堅下地黒真塗でアクセントを付けております。


DSC02480-1.jpg

裏側も作りこまれております。

DSC02479-1.jpg

一枚一枚に、漆で銘が入っております。


前端雅峯は、木地師である初代の前端春斎の長男として生まれました。

その後、名工たちに師事したあと、様々な寺院や神社仏閣にも関わり、表千家や裏千家とも繋がりを深く持ち茶道具の世界で足跡を残しております。

作品をもう一度見てみましょう。

DSC02476-1.jpg

このデザインは”宗和好み”とされております。

金森宗和です。

江戸前期の茶人で、飛騨高山城主金森出雲守可重の長男として生まれました。

大徳寺の紹印伝双に参禅して剃髪、宗和と号する。

父から茶道を学び、のち宗和流を開き、侘び宗旦に対して姫宗和といわれ、天皇や公卿衆の茶湯に

大いに貢献しました。明暦2年(1656)歿、72才。

なにより、有名なのは陶工・野々村仁清を見出し、プロデュースしたことです。

仁清の洒落たモダンさは全て宗和の影響によるものと言われております。

また、大工・高橋喜左衛門と塗師・成田三右衛門らに命じて”飛騨春慶塗”を生み出したとも。

雅峯は、近代茶道で伝統的な作品を製作しつつも、寛永の美にも思いを馳せたのでしょう。

DSC02473-1.jpg


よくある銘々盆と異なり、一枚一枚を薄く轆轤で形成しておりますので、各毎ごとに形状にばらつきがありますが、仕上がりクオリティは寸分狂いなく一定です☆

DSC02472-1.jpg

共箱です。


今日は5月5日の節分の日です。


鯉のぼりのお菓子と合わせてみました!


DSC_6716-1.jpg



※売却済みです。






nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。