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永楽保全(善一郎) 珠光青磁 酒盃 [幕末京焼]

『おひさしぶりです。』なお道具が続きます☆


こちらは4年ぶりでしょうか。(^-^;


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【永楽保全(善一郎) 珠光青磁 酒盃】


幅  8.7㎝

高さ 3.5㎝

時代 天保14年(1843)~弘化4年(1847)頃

共箱



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珠光青磁とは、村田珠光がこの様式の茶碗を好んだと伝えられるところから内外面に猫掻き手といわれる櫛目文様があり、淡黄褐色または灰緑色を呈する青磁です。

博多にて出土し、継ぎを施して珍重されたものの数が少ない上に失われたものもあり、珠光、利休、信長らが所持したことから有名ではあったものの、実際に目にすることがない幻の高麗茶碗でした。

江戸後期には、珠光青磁に対する渇望が高まっていた時期で、そういう世相の中注文製作された作品であったと推察されます。


茶碗を盃にサイズダウンということから、茶人というより豪商のコレクションであったのでしょう。

利休所持の茶碗は櫛目が27本で、後に現在の価格に換算すると5千万であったと言われております。


この盃・・・・数えてみました。多分51本有ります(笑)。

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数か所に焼成時の不純物が混入しており、茶色のような細かな箇所があります。

当時の色絵磁器焼成技術としては初期からノウハウのある染付や、青磁のような濃色はまだしも・・・このような淡い色は難易度が高かったと思われます。

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高台側です。


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共箱です。

前回扱ったものとの一番の違いは・・・・『善一郎』箱であることです。


天保14年(1843)~弘化4年(1847)頃で、家督を和全に譲り、友人である佐野長寛の次男である宗三郎(のちの回全)と共に新たに善一郎家としてのスタートを図ろうとしておりました。

三井記念美術館での見解でも、この時期は保全の一番の円熟期であり優品が多いと述べられております。

まぁ・・・一概にはそうともいえませんが、コスト的にも心身共に余裕があったりしたのは間違いないでしょう。

保全の珠光青磁盃というものは珍しいので、この機会に比較してみましょう。


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今回の善一郎時代のもの

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前回の保全時代のもの



磁器作品としての仕上がり、スカッと加減が後者ですが珠光の味わいとしては前者に分が上がるように思えます。


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今回も、コレクターズアイテムとしてお勧めです。



永楽 保全 寛政7年(1795)~嘉永7年(1854)

19世紀に活躍した京焼の陶芸家。 千家十職の一つ、土風炉師・善五郎の十一代である。

幼名は千太郎、1806年頃に十代善五郎である永樂了全の養子となる。

十一代善五郎を襲名したのは1817年であり、1827年には紀州藩十代藩主徳川治寶の西浜御殿の御庭焼開窯に招かれ、作品を賞して「河濱支流(かひんしりゅう)」の金印と「永樂」の銀印を拝領した。これが永樂姓の由来である。

1843年に息子の和全に善五郎の名を譲って善一郎と名乗り、さらに1848年には保全(やすたけ)と名乗りを変えた。このため、没後は他の善五郎との区別のため保全(ほぜん)と呼ばれる。



※ご成約済みです。


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