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【城山窯 (永楽即全) 稲穂の絵賛 茶碗 三井高棟・苞子賛】 [茶道具]

【2022年3月3日 追記】



1618年、『織田有楽斎』が建築した『2畳半台目』・・・の茶室、が『如庵』です。


移築を繰り返して、大事に伝世した茶室です。


その名の由来は、有楽斎のクリスチャンネームである、『ジョアン?ヨハン?』からだとか。。。


元和4(1618)年に、京都の建仁寺の塔頭『正伝院』が再興された際に建造され、明治6(1873)年に正伝院は永源庵跡地に移転したが、その際に祇園町の有志に払い下げられました。

明治41(1908)年に解体せず原型のまま運ばれ・・・東京の三井家本邸へ移築され、益田孝『鈍翁』がこれを愛用しました。

その後、昭和11(1936)年に『重要文化財』に指定されます。

昭和13(1938)年に、三井家10代の『高棟』により、神奈川県中郡大磯の別荘へ移築されました。

昭和47(1972)年には、現在地である犬山へ移築され、昭和26(1951)年に『国宝』に指定されるのです。


その、大磯にて、三井高棟が大いに茶道などの日本文化・芸能を楽しんだ時期・・・庭窯として、生まれたやきもの、のご紹介となります。




城山窯 薄茶碗 (5)-1.JPG



【城山窯(永楽即全) 稲穂の絵賛 茶碗 三井高棟・苞子賛】


幅   13.7cm

高さ   7.1cm

高台径  5.5cm

製作年代 昭和19(1944)年

箱    三井高棟 苞子 懐紙貼紙




とても、作行きの良いお茶碗です。


まるで、茶人の心意気が表れているような上品な佇まいを感じます。


三井八郎右衛門・高棟、は三井財閥の楚を築いた人で、昭和8(1933)年に引退するまで48年もの長期に渡って、三井家の最盛期を支えたのです。


引退後は、神奈川県大磯の別荘『城山荘』に居を移し、茶道を始めとする文化芸能に勤しんで暮らしました。

その際に、三井本邸から『如庵』を移したわけです。

よほど、の茶の湯への入れ込みようですね。(^^;


今回は、永楽即全の手により、三井高棟夫妻が合作としたお茶碗のご紹介です。




城山窯 薄茶碗 (6)-1.JPG


『稲穂』が風になびいてる様、が描かれております。


これは、三井高棟によるものです。

花押も左下に。


城山窯 薄茶碗 (7)-1.JPG

おもて面と同じく、『箆』により斜めの意匠が取られております。

こちらも、稲穂をイメージしたものでしょうか。



城山窯 薄茶碗 (8)-1.JPG


さらに、回してみますと・・・


奥方であります、『苞子』による、『黄金の波』という歌が書かれております。


日の光を浴びた稲穂が風になびく様子ですね。


月の光、とも。。。


城山窯 薄茶碗 (9)-1.JPG



城山窯 薄茶碗 (10)-1.JPG


上から。


端正な造りです。


この『城山窯』というのは、永楽即全の襲名前に・・・さかのぼること、得全の時代より是非永楽家に、お庭焼きに協力してほしいという三井家の依頼に応えて、築窯されたやきものです。

三井高棟と永楽家の繋がりは深く、『妙全』の軸は高棟が授けたもので、この妙全時代に千家と三井家の庇護もあって・・・一時は困窮に瀕していた永楽家も復興することとなったのです。


昭和2年の妙全没後、わずか5年後の昭和7年には正全没し、昭和10年に即全が代を襲名することとなります。


その後、60年に及ぶ永楽家当主としての長い歴史が始まるのですが・・・・即全の最初のスタートは、実はこの『城山窯』なのです。


昭和12(1937)年に、大磯の三井家別邸に『登り窯』を築きました。



土ものや磁器もの、も製作されていたようです。


城山窯作品には、三井高棟の箱書きがあるものが多いです。


昭和20(1945)年まで断続的に、製作が行われていたようです。


この、城山窯での活動は、三井家の様々な所蔵品の研究や茶道についても吸収できる時期でもありました。

この城山窯での製作活動もあって、このお茶碗が生まれた昭和18(1943)年には、戦時下における『伝統的な工芸技術を保存する人』に資材と提供するための制度、『工芸技術資格者』に即全が認定されました。


これは、戦後の製作再開にも大いに影響を及ぼしたことは間違いありません。



城山窯 薄茶碗 (11)-1.JPG


箱根の大涌谷、小涌谷の土を用い、赤い柔らかめの土で造り、『城山荘』の土を釉薬に用いたようです。


城山窯 薄茶碗 (12)-1.JPG


『城山窯』作品では、永楽印は用いず、『城山』印となります。


城山窯 薄茶碗 (13)-1.JPG


高台脇



城山窯 薄茶碗 (2)-1.JPG

蓋裏、懐紙

このお茶碗が製作された1944年は、『即全』は既に『善五郎』を襲名後です。

世界大戦がはじまっており、世の中の世相が不安定な中・・・三井家の別荘でのひとときのゆとりある作陶期間であったのでしょう。


とても、丁寧な造りにやさしい仁清調の釉薬、そして三井高棟夫妻による絵付け、と風情ある作品に仕上がっております。

三井高棟さんにつきましては、三井家のご紹介ページからご覧ください。

https://www.mitsuipr.com/history/people/06/



城山窯 薄茶碗 (5)-1.JPG


このお茶碗は、三井高棟が88歳・・・・・『米寿』を記念して造られました。

『八十八』、と組み合わせると『米』


米・・・に因んで、稲穂、ということです。


八が重なることから、末広がりも重なって縁起が良いと言われます。


そして、還暦が赤色というように、米寿は『金茶色』


まさしく、そこまでお茶碗により演出されているのです。


一粒万倍(いちりゅうまんばい)・・・ひとつの粒から万倍の稲に育つ様を現す言葉です。


一粒万倍”日”は、日本の暦に古くからある吉日の一つです。

二十四節気(立春・夏至・立秋など)と、干支(甲・乙・丙・丁……と子・丑・寅……を組み合わせたもの)によって決められ・・・

「立春から啓蟄(けいちつ)の前日までは、丑と午の日」

「啓蟄から晴明(せいめい)の前日までは、寅と酉の日」

といったように、二十四節気の、節目と節目の間の2日が『一粒万倍日』となるのです。

大体・・・6日に1回、ひと月に5日、1年間に約60日あります。


そういう日にも合わせてお使いになるのも良し、でしょう☆



ちなみに、今年の残りでは・・・


3月:1・9・14・21・26

4月:2・5・8・17・20・29

5月:2・14・15・26・27

6月:9・10・21・22

7月:3・4・7・16・19・28・31

8月:10・15・22・27

9月:3・11・16・23・28

10月:5・8・11・20・23

11月:1・4・16・17・28・29

12月:12・13・24・25



『わずかなものが飛躍的に増えること』

一粒万倍日、は新たなことを始めるのに良い日、とも言われます。


まもなく、4月・・・いろんな節目をお迎えの皆様もいらっしゃるかと、存じます。

また、今のコロナ第6波もそろそろ収束の兆しも見え始めました。


心機一転、新たなスタートを切れることを☆



※ご成約済みです。



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