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【青木木米 交趾手 軸端 二】 [幕末京焼]

珍品中の、珍品です。


あまりの、珍品なので・・・(かつ、値も張りまして・・(-_-))

6月の、名美アートフェアの図録に掲載することに致しました。


こちらにて、事前のご紹介を致します。



木米 軸端 (2)-1.JPG


【青木木米 交趾手 軸端 二】


幅  3.2cm (各)

高さ 5.2cm (各)

無地箱

製作年代 文化5(1808)~天保4(1833)年頃




木米、に関しては・・・あまたの文献や資料の量に反比例して、作品の流通量は激少です。

その理由は、製作数が少なかったのか、それとも新進の財界人による茶人の収集の対象にならず(故にその盛衰や、戦後の放出等に関係しなかった?)、現役当時から明治期での文人へ収まったことから、大事に伝世してるのか・・・


しかし、その作品の『精神性』の高さは江戸後期の京焼界に於いても群を抜いていたのは、間違いありません。


今回の作品は、『軸端』・・・『軸先』とも呼ばれるものです。


木米 軸端 (4)-1.JPG


上から。


『麒麟』が来る。


木米 軸端 (5)-1.JPG



見事な、交趾釉です。


江戸後期では、『永楽保全』が交趾作品で知られますが・・・それは『磁器』作品であり、また木米よりやや遅れることになります。


木米 軸端 (6)-1.JPG


木米 軸端 (7)-1.JPG




木米が、京焼の磁祖といわれる『奥田潁川』に師事していたことはよく知られます。


しかし、実はそれ以前、『陶器』技術は・・・粟田に於いて、『15代 宝山文蔵』より学んだのです。


『宝山』と『潁川』、『陶器』と『磁器』、『和』と『漢』の双方を身に付け・・・また、文人との交流や、自己研鑽により感性・・・今風にいえば『センス』を高めた木米は、その江戸後期の時代性もつテイストと、和漢の融合を果たした作品を生み出したのです。



まさしく、このような小品・・・ですら、木米のすべてが凝縮されております。


木米の代表的な作品である、『急須』などで、見られる・・・『三彩法相華文』に伝説の獣・・『麒麟』をあしらい、また・・・『窓』による絵付けのゾーニングがミニマムな作品に展開されているのです。


DSC_6334_copy_600x450.jpg


木米の図録に紹介されている、同手作品です。


しかし、それ以外にはどの文献にも紹介されることはありません。

『商品』としての『作品』では無いことからも、製作量はさらに少なく、希少であることなのでしょう。



木米 軸端 (2)-1.JPG


木米 軸端 (1)-1.JPG


収納箱

中にて区切りがされており、差し込み蓋となっております。





木米の掛け軸、に合わせることが出来れば、最高なのですが・・・もはや、これは、これだけで立派なコレクターズアイテムなのです☆

※御成約済みです。


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