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【永楽和全 古赤絵七宝手茶碗(汲出)6客】 [幕末京焼]

永楽善五郎、でも代ごとに得意とする分野が有ります。

中でも『和全』は様々な写しなどを、保全とはまた異なったアプローチで製作しておりましたが・・・

『磁器』については、和全の技を頼って・・・大聖寺藩や、岡崎藩が自身の藩窯へと招聘致しました。


大聖寺藩の目的は・・・九谷焼の復興であり、万延元(1860)年に宮本窯を買い、春日山窯の縁で京和全を山代に招いたのです。

和全は自身の窯の陶工全員を上げて赴き、慶応元(1865)年に九谷本窯(永楽窯)として開窯しました。


明治2(1869)年に、 永楽和全が京都に帰ることになり廃窯となりましたが、地元の陶工たちには確かな金襴手・赤絵などの技術が伝わり、また数々の優品も北陸地方に伝世することになるのです。

そんな、見込まれるほどの・・・磁器の技、を発揮した、和全の京都・善五郎時代の作品です。



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【永楽和全 古赤絵七宝手茶碗(汲出)6客】


幅     7.8cm(各)

高さ    4.2cm(各)

製作年代  嘉永6(1853)~慶応2(1866)年頃

共箱



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一客を、ズームアップしてみましょう。


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和全では、箔塗の金絵付けが確立されたのですが、この作品では旧来の金塗りの手法にて風合いを出しております。


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緑と黄を使い、七宝紋様をやわらかく・・そして華やかに描いており、赤絵にて引き締めております。


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内側は、染付です。


サイズ感も良く、煎茶にも、待合の香煎にも。


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共箱です。


和全以降の永楽では、堅い感じの金襴や赤絵に移行していきます。

それは、需要に対する製作量のせいか、確立されすぎた技法のせいか・・・何かを得た半面、失われたものたちも多かったのだと、思います。


『感性』 を感じられる優品なのです。



※御成約済みです。



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