【仁阿弥道八 御本模 茶碗】 香雪美術館出展作 [幕末京焼]
仁阿弥道八、は天保13(1842)年に家業を子である『光英』に譲り、伏見桃山に隠棲しました。
そこでは、『桃山窯』というものを築いて、晩年の作陶生活を送るのです。
『悠々自適、情熱すれば即ち焼き、心静かなれば茶を喫し、朝夕旧桃山城頭に上って法螺貝を吹き娯しんだ』そうです。
その頃の、作品に秀吉由来の『五三桐』を型取った紋を茶碗の景色として押した、『桃山御本茶碗』というものがあります。
・・・・それは、『御本茶碗』をベースとして、仁阿弥独自の感性・・・高貴で洗練された独自のものに昇華された茶碗なのです。
それの、『プロトタイプ』ともいうべき作品が見つかりました。
今回ご紹介するこのお茶碗です。
【仁阿弥道八 御本模 茶碗】
幅 13.2cm
高さ 9.6cm
高台径 5.5cm
製作年代 文化8(1811)~文政9(1826)頃
共箱
大振り、で呉器形とでもいいましょうか・・風格のあるデザインです。
正面をどこに取っても、収まるのですが今回は『角度』に着目してみました。
このように、口造りや全体の形状が見える『見下ろし』の角度よりも。
この、ほぼ真横から・・・静かに睨みつけると、高台も含めてのデザイン性がより際立つように感じます。
やや、背の高い茶碗ですので、それは『側面』がミドコロでしょう。
『五三桐』
がうっすらと見えます。
後年のものが、『押している』だけに対して、『彫り』にてデザインしてるように見えます。
後鳥羽上皇から足利尊氏が桐紋を賜りました。その後・・・皇室が臣下へ、下賜された武将が臣下へと渡すようになり、広く知られるようになったのです。
桐紋は桐の葉と花を図案化したもので、一般的には3枚の葉の上に3本の花が描かれ、その花の数によって『五三桐』、『五七桐』など呼び名が異なります。
↑のデザインは『五七』ですが、作品の方はおそらく『五三』でしょう。
桃山御本茶碗に使われる元となった、豊臣秀吉の家紋は『太閤桐』と呼ばれるものです。
上から見ますと、『州浜』形になっております。
見事な、『御本手』の発色が・・・・まるで、桃山の『桜』や『紅葉』に見えることと、併せての道八の発想だったと思います。
高台周りも、なかなかの味わいです。
『道八』印は、初期に見られるタイプです。
箱書きとも合わせて、前期作品であることがうかがえます。
焼成時の窯疵が発生しておりますが、表層的なものであり、道八自身もいとわず、仕上げて世に出しております。
もちろん・・・お使いになるのに、なんら不具合がございません。
箱です。
共箱です。
実は、このお茶碗は『香雪美術館』での展観歴があります。
その際の、キャプションが遺されております。
『仁阿弥』を語るときに、忘れてはならないのは・・・いわゆる、他の京焼陶工との違いです。
『仁阿弥』は、抹茶としての道具性と感性により作品が作られております。
それは、あくまでも『日本趣味』というもので、茶道具以外でも仁阿弥作品に共通するものです。
さらに、生まれによるものか・・・また、その精神性の高潔さからか、そういうものが作品に込められており、それを感じ取った『宮家』や『神社仏閣・寺院』・・・『各地の藩主』、『地方の有力者』といった数々の御贔屓にあずかることとなったのです。
元々が京都の出ではない(父である初代は亀山にて)、陶家であったことから、伝統に縛られない自由さと、逆にたゆまぬ努力を必要としたことも要因であったことでしょう。
故に、古来より縛りの強い『粟田』から『五条坂』へと移っております。
そんなことを、考えながら日々過ごしておりますと・・・ここのところ、なんやかんやと『仁阿弥』さんのご縁が増えてしまっておりますのです。 (^^;
一服~。
=======================================================
Journal of FUJII KOUNDO 《問い合わせ先》
藤井香雲堂
TEL 090-8578-5732
MAIL fujii-01@xc4.so-net.ne.jp
※当ブログはPC用サイトでの閲覧を推奨しております。
スマートフォンでご覧頂く場合もPC用表示をご選択下さい。
=======================================================
2022-04-13 15:02
nice!(0)
コメント(0)
コメント 0