【湊焼(津塩窯三代) 湊本窯 箕銘々皿】 5枚 [国焼(地方窯)]
関西は、大阪・・・『泉州 堺』、利休の活躍した地としても知られる交易の栄えた商人のまちでした。
もちろん、茶の湯も盛んであり、古くは桃山時代より『やきもの』が造られておりましたが、茶陶としては樂家三代である、『ノンコウ』の弟が始めた『道楽焼』と、それに続く『山本窯』、少し遅れて・・・『上田窯』により江戸期に人気が高まり、幕末・明治辺りで各窯の競演にて黄金期を迎えます。
それらを、『堺 湊焼』といいます。
軟質な、土に赤樂を中心とし・・・交趾釉などでの、茶陶や懐石道具、雑器・・・飾りもの、等が盛んに製作され、各地に出荷され大いに人気となったようです。
上田窯二代の一門であった人が、享保年代(1700年台前半)に上田窯に倣って始めた窯が、『長浜屋窯』といい八代迄続き、明治にそれを引き継ぐ形で『津塩窯』が始まりました。
『津之国屋』という長浜屋が塩等を取り扱っていた別の屋号を、由来とし『津塩』を名乗り・・・のちに性としたのです。
今回、ご紹介するのは津塩窯 三代目である『津塩政太郎』(本湊焼十五代)の作品です。
【湊焼(津塩窯三代) 湊本窯 箕銘々皿】 5枚
幅 11.4cm×13.3cm (各)
高さ 2.8cm (各)
製作年代 大正時代頃
共箱
『箕』は、農作業で穀物を主とする収穫物から不要な小片を吹き飛ばして選別するために古くから用いられてきた道具のことで、日本では竹を素材として作られており、容器としても使えることから広く普及しました。
まさに伝統工芸であり、作るのには大変な技量を要します。
故に近年では樹脂製などもあるようです。
この作品は、見事に楽焼にて『箕』を再現しております。
津塩政太郎は、轆轤引きを使わず・・手びねりと型形成にて製作していたそうです。
この作品は、手びねりしたものに型を押し付けて、箆などで仕上げて造られてます。
裏は『布目』となっており、こうすることで使いやすさと耐久性を持たせているように思います。
印は5枚全てにありますが、印に釉がかかってるものとかかってないものがあります。
湊焼の土は熊取(関空の近くにある地名です)の土で、温度を上がると赤く変色するそうです。
これを還元焼成にて、焼くわけですが・・・釉薬部分のかかり具合と温度差の具合で、味わいが変化するもので・・・
湊焼は元々、釉調としてはシンプルなものだけに、より焼物師の技量により仕上がりが『雅味あふれる』か、『品格の無いものに』なるかの差が出るのです。
その辺の面白さ、と茶処である堺の地域性・・・によるセンスが、『湊焼』の醍醐味でしょう。
共箱になります。
窯上がり時の微小の釉剥けはあるものの、概ね無傷に近いコンディションです。
一時期は、複数稼働していました歴史ある湊焼ですが、現在は1か所が細々と・・・寺のお土産ものを製作しているだけのようです。
元が数があったので、伝世数はあるものの・・堺空襲による大打撃により、決して残る数は多いとも言えません。
ここ数十年の間に、一気に新たな所蔵先へと収まっていきつつあり、近年では見るべきものは少なくなってしまいました・・・・。
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2022-04-14 13:44
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