楽 了入 鈍太郎形 黒茶碗 [茶道具]
『鈍太郎』・・・最初に見たときはなんて大きな茶碗?!と違和感だったのですが、気になって気になって仕方のないアイテムとなり、これまで”写しもの”を5椀も扱うことになりました。(^^♪
最初は、寿山の忠実な写し作品の久田尋牛斎箱のもの、次は同じく寿山の而妙斎箱のもの。
その而妙斎箱作品を御納めさせて頂きました先生がこの作品を使う茶会の半東を数度務めること機会がありまして・・・
席中での評判を身に染みて感じると楽しいのなんの。
そこでエスカレートし、次に扱ったのは長入作で、その次はとうとう鈍翁作までいっちゃいました。
不思議と、それぞれ2年ごとに縁がありました。
そこで今回の了入作です☆
楽吉左衛門 9代 了入
鈍太郎形 黒茶碗
共箱
時代 1789~1811年頃
幅 14.5~14.7㎝ 高さ 7.6㎝
では、鈍太郎茶碗についておさらいしましょう。
表千家6代目である覚々斎が1721年(享保六)の『江岑五十回忌』に手作り茶碗を左入焼で五十個つくったうちの第一等品です。
とても所望者が多かったとのことで、籤引をしたところ、名古屋の高田高陽(通称鈍太郎)が引き当てました。
それは大層喜ばれたようです。
この人は、名古屋の江戸中期の茶人で原叟の門下でした。絵を狩野常信に学び、朴黄狐の号で作品も遺しております。(宝暦13年(1763)歿、82才)
鈍太郎という名は、狂言に鈍太郎という者が上京の妻と下京の妻に引っ張られて当惑のあまり坊主になるという話にもあるのですが、この籤曳きの逸話と、引き当てた者がまた通称鈍太郎という偶然のような必然のようなエピソードもあり、茶碗の名も鈍太郎となったのです。
この茶碗は非常に大振りで一見鈍重なものですが、高田高陽はこれを手に入れて大いに喜び、これより自ら太郎庵と号しました。
話は、ここでは終わりません。
茶碗はそののち京都の栗田天竺 ⇒ 尾張の岡谷家 ⇒ 名古屋の横井敬甫に伝わり・・・
最後に東京の益田孝に譲られました。
益田孝もまた、初代オーナーの高田高陽のように大層喜び、品川御殿山に新たに太郎庵の茶室をつくり自ら『鈍翁』と称したのです。
その後、自身の庭窯である鈍阿焼にて、大野鈍阿にうつしものを作らせるだけでなく、自身も鈍太郎写しを作るほどにお気に入りであったのです。
さて、この鈍太郎ですがさすがに有名な楽茶碗でありましたもので、本楽窯でも、歴代の中でも写しが製作されております。
今回ご紹介するのは、その中でも名工として名高い・・・了入作品となります。
【正面】より。
本歌をより扱いやすいようにリメイクしております。
元のサイズでは通常のお点前はかなり難易度が高いのですが、当作品はきちんと片手で建水へ棄てることも出来ます。
茶碗としての恰好も良く仕上がっております。
【裏側】
【右90度】
【左90度】
【上から】
【高台側】
高台の造り、は光悦作を意識したような?原叟の手作り茶碗の造りそのままです。
原叟の”茶”は形にとわられず楽しむというスタイルで、当時はかなりのセンセーションだったようです。
しかし熱いファンたちに支持されたそうです。
そういう姿勢や想い、が鈍太郎にも表れたのでしょう。
【印】
了入の、通称”中印”といわれるものです。
楽了入の、34歳頃~56歳頃に使用されていたもので、このことより作品が1789(寛政元年)~1811年(文化8年)のものと判明いたします。
【共箱】
楽 了入
宝暦6年(1756)生~天保5年(1834)没
楽長入の次男で楽得入(とくにゅう)の弟。
明和7年京都の楽家9代をつぎ,六十余年にわたり製作にあたる。
天明8年の大火により長次郎以来の陶土や印をすべて焼失。寛政3年楽家の系図「聚楽焼的伝」を作成した。
楽家の中興の祖といわれ、3代目のノンコウ以来の名工と称される。
1837年9月17日に79歳で死去されました。
その命日に近い日に、この作品をご紹介できたのもの、何か不思議なご縁を感じます。。。。
※ご成約済みです。
=======================================================
Journal of FUJII KOUNDO 《お問い合わせ先》
TEL 090-8578-5732
MAIL fujii-01@xc4.so-net.ne.jp
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最初は、寿山の忠実な写し作品の久田尋牛斎箱のもの、次は同じく寿山の而妙斎箱のもの。
その而妙斎箱作品を御納めさせて頂きました先生がこの作品を使う茶会の半東を数度務めること機会がありまして・・・
席中での評判を身に染みて感じると楽しいのなんの。
そこでエスカレートし、次に扱ったのは長入作で、その次はとうとう鈍翁作までいっちゃいました。
不思議と、それぞれ2年ごとに縁がありました。
そこで今回の了入作です☆
楽吉左衛門 9代 了入
鈍太郎形 黒茶碗
共箱
時代 1789~1811年頃
幅 14.5~14.7㎝ 高さ 7.6㎝
では、鈍太郎茶碗についておさらいしましょう。
表千家6代目である覚々斎が1721年(享保六)の『江岑五十回忌』に手作り茶碗を左入焼で五十個つくったうちの第一等品です。
とても所望者が多かったとのことで、籤引をしたところ、名古屋の高田高陽(通称鈍太郎)が引き当てました。
それは大層喜ばれたようです。
この人は、名古屋の江戸中期の茶人で原叟の門下でした。絵を狩野常信に学び、朴黄狐の号で作品も遺しております。(宝暦13年(1763)歿、82才)
鈍太郎という名は、狂言に鈍太郎という者が上京の妻と下京の妻に引っ張られて当惑のあまり坊主になるという話にもあるのですが、この籤曳きの逸話と、引き当てた者がまた通称鈍太郎という偶然のような必然のようなエピソードもあり、茶碗の名も鈍太郎となったのです。
この茶碗は非常に大振りで一見鈍重なものですが、高田高陽はこれを手に入れて大いに喜び、これより自ら太郎庵と号しました。
話は、ここでは終わりません。
茶碗はそののち京都の栗田天竺 ⇒ 尾張の岡谷家 ⇒ 名古屋の横井敬甫に伝わり・・・
最後に東京の益田孝に譲られました。
益田孝もまた、初代オーナーの高田高陽のように大層喜び、品川御殿山に新たに太郎庵の茶室をつくり自ら『鈍翁』と称したのです。
その後、自身の庭窯である鈍阿焼にて、大野鈍阿にうつしものを作らせるだけでなく、自身も鈍太郎写しを作るほどにお気に入りであったのです。
さて、この鈍太郎ですがさすがに有名な楽茶碗でありましたもので、本楽窯でも、歴代の中でも写しが製作されております。
今回ご紹介するのは、その中でも名工として名高い・・・了入作品となります。
【正面】より。
本歌をより扱いやすいようにリメイクしております。
元のサイズでは通常のお点前はかなり難易度が高いのですが、当作品はきちんと片手で建水へ棄てることも出来ます。
茶碗としての恰好も良く仕上がっております。
【裏側】
【右90度】
【左90度】
【上から】
【高台側】
高台の造り、は光悦作を意識したような?原叟の手作り茶碗の造りそのままです。
原叟の”茶”は形にとわられず楽しむというスタイルで、当時はかなりのセンセーションだったようです。
しかし熱いファンたちに支持されたそうです。
そういう姿勢や想い、が鈍太郎にも表れたのでしょう。
【印】
了入の、通称”中印”といわれるものです。
楽了入の、34歳頃~56歳頃に使用されていたもので、このことより作品が1789(寛政元年)~1811年(文化8年)のものと判明いたします。
【共箱】
楽 了入
宝暦6年(1756)生~天保5年(1834)没
楽長入の次男で楽得入(とくにゅう)の弟。
明和7年京都の楽家9代をつぎ,六十余年にわたり製作にあたる。
天明8年の大火により長次郎以来の陶土や印をすべて焼失。寛政3年楽家の系図「聚楽焼的伝」を作成した。
楽家の中興の祖といわれ、3代目のノンコウ以来の名工と称される。
1837年9月17日に79歳で死去されました。
その命日に近い日に、この作品をご紹介できたのもの、何か不思議なご縁を感じます。。。。
※ご成約済みです。
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Journal of FUJII KOUNDO 《お問い合わせ先》
TEL 090-8578-5732
MAIL fujii-01@xc4.so-net.ne.jp
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2020年9月6日~7日の新入荷情報です。 [新入荷]
2020年9月6日~7日の新入荷情報です。
♢眞葛香山 仁清意亀甲紋 菓子鉢 箱無し
珍しい、モダンデザインな鉢です。
♢二代 眞葛香山 暁色陶丹頂鶴 花瓶
素肌釉、や真砂釉、と称されることの多い、素焼きに絵付けをする上品な作品です。
♢坂口砂山 打出焼 繭形向付 【10客】
明治末~大正期に尼崎で製作されていた、お庭窯。
♢楽 了入 鈍太郎形 黒茶碗
江戸後期 本歌の鈍太郎を使いやすくリメイクした写し作品です。
了入らしい釉薬と作行きに手練れさを感じさせます。
当店ではなぜだか2年に1度ご縁のある鈍太郎です。。。。
♢眞葛香山 仁清意亀甲紋 菓子鉢 箱無し
珍しい、モダンデザインな鉢です。
♢二代 眞葛香山 暁色陶丹頂鶴 花瓶
素肌釉、や真砂釉、と称されることの多い、素焼きに絵付けをする上品な作品です。
♢坂口砂山 打出焼 繭形向付 【10客】
明治末~大正期に尼崎で製作されていた、お庭窯。
♢楽 了入 鈍太郎形 黒茶碗
江戸後期 本歌の鈍太郎を使いやすくリメイクした写し作品です。
了入らしい釉薬と作行きに手練れさを感じさせます。
当店ではなぜだか2年に1度ご縁のある鈍太郎です。。。。
『長期出張より戻りました!』&『9月のご案内』です。 [BASE215]
8泊9日の東京出張から戻りました。('_')
その前後も含めて・・・11日連続で働き詰めだったのと、今回は毎日営業時間の11時間ほぼ詰めておりましたもので(9時半~20時半)、かなりの疲労が蓄積していたようで。。。
昨日は日中に合計4時間!も昼寝するほどのダウン加減でした。
明日から、オークションを中心にまたフル活動致します☆
まずは、ブラフジイから。
今回は上記のように、散策する時間が全くなかったので・・・途中、日曜日が来場少なかったので、お昼ごはんがてら、往復20分の散歩をしました。
『東京中央銀行』 です。(劇中ではCGで上部に高層部分が追加されてますが)
売り上げは、倍返し、出来ませんでしたが・・・・(^-^;
お向かいさん、は重要建築物指定です。
本当に、高島屋さんの紙袋持ったお客様の多いこと。。。
この度、お世話になった新しいご縁のお客様が、わざわざ会期中に取り寄せてくださって、持ってきて下さいました。日本酒。 本当にありがとうございます。2日間飾っておりました。(^^♪
また、来年お会いしましょう。
さて・・・・
9月のスケジュールのおしらせです。
♢6・7・9・10・19・20・21がオークション出張となります。
【ベースの滞在予定】
7日 (月)※昼下がり~
8日 (火)
11日 (水)※予定あり
14日 (月)※15時迄
15日 (火)
16日 (水)※予定あり
17日 (木)
18日 (金)※午後から
23日 (水)
24日 (木)※15時から撤収作業
♢他のお客様との重複により密を避ける為、ベースへのご来訪は事前のご連絡をお願い申し上げます。
また、急な外出があるかもしれませんことをご了承くださいませ。
♢店外催事のご案内
26日・27日 は【十翔会】特別開催版 がございます。
また、9月30日~10月6日は近鉄百貨店 上本町店で『骨董まつり』が開催されます。
どうぞ、よろしくお願い申し上げます。
その前後も含めて・・・11日連続で働き詰めだったのと、今回は毎日営業時間の11時間ほぼ詰めておりましたもので(9時半~20時半)、かなりの疲労が蓄積していたようで。。。
昨日は日中に合計4時間!も昼寝するほどのダウン加減でした。
明日から、オークションを中心にまたフル活動致します☆
まずは、ブラフジイから。
今回は上記のように、散策する時間が全くなかったので・・・途中、日曜日が来場少なかったので、お昼ごはんがてら、往復20分の散歩をしました。
『東京中央銀行』 です。(劇中ではCGで上部に高層部分が追加されてますが)
売り上げは、倍返し、出来ませんでしたが・・・・(^-^;
お向かいさん、は重要建築物指定です。
本当に、高島屋さんの紙袋持ったお客様の多いこと。。。
この度、お世話になった新しいご縁のお客様が、わざわざ会期中に取り寄せてくださって、持ってきて下さいました。日本酒。 本当にありがとうございます。2日間飾っておりました。(^^♪
また、来年お会いしましょう。
さて・・・・
9月のスケジュールのおしらせです。
♢6・7・9・10・19・20・21がオークション出張となります。
【ベースの滞在予定】
7日 (月)※昼下がり~
8日 (火)
11日 (水)※予定あり
14日 (月)※15時迄
15日 (火)
16日 (水)※予定あり
17日 (木)
18日 (金)※午後から
23日 (水)
24日 (木)※15時から撤収作業
♢他のお客様との重複により密を避ける為、ベースへのご来訪は事前のご連絡をお願い申し上げます。
また、急な外出があるかもしれませんことをご了承くださいませ。
♢店外催事のご案内
26日・27日 は【十翔会】特別開催版 がございます。
また、9月30日~10月6日は近鉄百貨店 上本町店で『骨董まつり』が開催されます。
どうぞ、よろしくお願い申し上げます。