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四代 豊楽焼 木具写キンマ 丸蓋物 [おもろいで!幕末尾張陶]

江戸後期、尾張藩には藩の御用窯として楽焼の『豊楽焼』がありました。

大正時代に八代迄続き廃窯となりましたが・・・。

その豊楽焼の名を一気に轟かせるになったのが、『木具写し』という技法です。

今回は、その木具写し作品の優品をご紹介致しましょう。

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四代 豊楽焼 木具写キンマ 丸蓋物

幅 11.9㎝ 高さ 6.5㎝


見ての通り・・・どうみても、漆器です。

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甲には龍が金で描かれております。

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キンマ風です。

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さて、蓋を開けてみますと・・・

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パカっと。

楽焼で織部釉のかけ流しに、土筆の絵付けです☆

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底に銘があります。


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豊楽焼の木具写しは完品が少なく、この作品もわずかながらホツがありますが全体的には『上』に分類されます。

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箱も時代箱ですが、なかなか良いものがあしらわれております。


豊楽の四代目、豊助は文化10年(1813)生まれ、安政5年(1857)没です。

早世されており、三代目の豊介より先に亡くなられました。

三代目が素焼きに漆描きをする作品を製作したことから、さらに推し進め・・・

見た目は、色も、形状も漆器にしか見えない、そして開けてみたらやきものであった!という演出の作品を生み出し、大変な人気を博します。

後の四代では木具写しで万博に出品もされたようです。

この技法はアイディアもさることながら、製作費用も多大にかかるもので・・・豊楽焼の高級路線の確立にも寄与しました。

やはり御用藩窯であったからこそ、出来たものであったのは間違いないでしょう。

その後、亡くなった後に作られた四代のお墓は、歴代の中でもひときわ大きい物に御なったようで、豊楽家でのその功績が称えられたのでしょう。

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※ご成約済です。


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藤井香雲堂 JFK お問い合わせ先 


【メール】 fujii-01@xc4.so-net.ne.jp


【お電話】090-8578-5732


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正木伊織 正木焼 俵に鼠茶碗 小堀宗明 箱 [おもろいで!幕末尾張陶]

先日、刊行いたしました・・・『おもろいで!幕末尾張陶 1』では、紙面の都合上・・・正木焼を2点掲載することが出来ませんでした。

正木焼も、尾張徳川家の御深井焼に深く関係するやきもので、外せないところであったのですが・・・

ということで、当店では初代作のご紹介が多いのですが、今回は二代作の優品をご紹介したいと思います。

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正木伊織 正木焼 俵に鼠茶碗 小堀宗明 箱


口径9.1㎝ 幅11cm 高さ10.5㎝


少し、大振りのお茶碗です。

いわゆる”立俵”ですね。

見所・・・・沢山あります,が。

が、まずは上から。

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反対側より。

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高台は、なんと“宝珠形”なのです。

そして、お茶碗には”鼠”がこそっと・・・あしらわれておりますが、ここは俵(大黒天)に鼠、そして宝珠のお話をすこし。


”古事記”の中で語られているお話に、”スサノオノミコト”の娘を娶ろうとした”大国主命”が課せられた困難なミッションで、危機に瀕した大国主命を助けたのが”鼠さん”でありました。

それにより大黒主命は”須勢理毘売(スセリヒメ)”と結ばれ、出雲の国を造ることにつながります。

大国主命=大黒天 、大黒天は本来はヒンドゥー教の主神であるシヴァ神の化身マハー・カーラに起原をもち日本に伝わったのですが、そして、大黒=大穀 ということにもつながり、五穀豊穣である俵とのセットで福徳の神として知られるようになりました。

そして、鼠も本来のお話まで語らずとも、子孫繁栄の象徴にもたとえられ、俵に乗った大黒天と傍に控える鼠というイメージが定着したわけです。

もちろん、俵に入っているお米からの鼠という連想もかけられておりますが。


・・・・と、いうことで鼠先輩、をお探しください☆

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あちこちに、隠れております。(笑)


肝心の、正木焼のご説明がおろそかになっておりました。(^^;




「正木焼」(まさきやき)

尾張藩士であった正木惣三郎と 伊織の親子による陶器である。

初代正木焼の 惣三郎(1801~1850)は天保13年に父の禄を継ぎ二百石取りとな り、後に六左衛門と改めた。

勤仕の余暇に作陶 を行い、その製品は黄瀬戸が多く人物を配した 香合等を最も得意とした。

印には「正木」と横 書き、使用土の産地である愛知郡星崎に因む「星 崎」印がある。

瀬戸窯または名古屋城内の御深 井窯で焼かせたといわれます。

嘉永三年に五十歳で没し た。

二代 (1827~1879)は幼名は 半次郎、文政10年に生まれ、惣三郎の長子と して父の禄を継いだ。

藩主茂徳の頃に御小納戸 役に進み、名を伊織と改める。

風流茶儀を好み、 陶技を父に学ぶ。絵を山本梅逸・上田桃逸に学 び桃園、黄清、藤清と號した。尾張16代藩主 義宣(1858~75)に陶法画技を教授する機会が あり、以後は寵遇を受けたという。

尾張藩の江戸屋敷である、戸山焼へ父と共に参画したとの記録も残ります。

廃藩後には瀬戸の加藤五助、犬山焼の作 十郎の作品に陶画を描いた。

明治3年に隠居し、 明治12年に犬山に没す。

さて、この作品には箱書きが添います。

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小堀宗明 箱

遠州流の、昭和前期の家元です。




11世 小 堀 宗 明

正徳 晴義 号・宗明 其心庵 一貫子 昭和37年6月21日(75才)

 明治21年(1888)、父宗有31歳の時、東京で誕生。東京美術学校に入学し、彫刻・塑像を習得し、日本画も狩野探令に師事した。

 22歳で、父の死と共に家督を継ぐ。広徳寺福富以清和尚より、「其心」の庵号として贈られ、自らも一貫子と号した。

 益田鈍はじめ大正茶人たちとの交流も厚く、三井泰山、団伊能、近藤滋弥等、東京における茶道界の重鎮を門弟とし、泰和会を創始し、石黒況翁の後援をえて、遠州茶道の一般普及に力を入れた。

 また父宗有の時にまったく行わなかった、出張教授を行い、各大名城下町に受け継いでいた流門の師弟を訪ね、流儀発展に大いに貢献した。

 戦後における東京茶道界・東茶会・好日会・止水会等の組織に参加、東京・鎌倉における茶道界向上に大いに活躍した。

 遠州以来の好みの窯の復興にも努力し、茶道美術の指導にも力を入れた。自らも、絵画・書・茶杓などの多くの作品を遺しているが、特に茶碗や香合などの造形美術に優れた技能を示している。

 75歳で東京にて没する。

(遠州流HPより)



尾張陶器では、何故か俵をモチーフにした作品が多く見られます。

しかし、このようなオリジナルな愉しい作品はなかなか稀少です☆


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JFK presents 1 おもろいで!幕末尾張陶1 『御深井焼~尾張徳川藩窯~』『永楽保全 Blue&White』 [おもろいで!幕末尾張陶]

構想?年、制作期間45日・・・

兼ねてより、このJFKにてご紹介しておりますマニアックなジャンルを、きちんとした形でご紹介したいと思っておりました。

展示会等で、当店ならではの特集展示は色々とさせて頂いておりますが、より解りやすい形で・・・そして、ご遠方でお越しになられない方や、ネット環境に無い方、ネットが苦手な方にも知っていただきたい!という思いで一念発起し、自費出版致しました。

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JFK presents 1 おもろいで!幕末尾張陶1 

『御深井焼~尾張徳川藩窯~』『永楽保全 Blue&White』

全12ページ フルカラー 冊子



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尾張徳川家の藩窯の御深井焼、の茶陶としての後期御深井焼、そして藩に関わる九朗や幻の加藤民吉の新製瀬戸焼へ・・・・そこから染付と同じ徳川家でも紀州徳川家の藩窯に関わった保全の染付の特集へと繋がります。

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私がJFKにて拙い文章で綴ってきた内容をブラッシュアップし、最新の研究資料ならびに私見でのコメント、さらに解りやすい年表等も新たに製作し、ページ数以上のコンテンツになっていると思います!

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せっかくの企画なのですが、大美特別展では『香山式3 MAKUZU BAR』が決まっております。

これまで皆様に支えて頂いておりますJFKならでは、のネットワークコミュニケーションにて、あらゆる形態でご紹介をさせて頂きたいと思います。『アナログクラウド』ともいいましょうか・・・新たな特集企画展示会のスタートです。 どうぞ宜しくお願い申し上げます!


※ご希望の方は実費にてお分けいたします。税金と送料は当方で負担致します。
¥1000

お申込み先  fujii-01@xc4.so-net.ne.jp



リアル展示は以下の予定となっております。

2020年2月23日(日)・24日(月・祝) 

”岡山アートフェア” 第2セントラルビル 主催岡山美術倶楽部

     3月4日(水)~10日(火) 

”骨董まつり” 近鉄百貨店上本町店 イベントスペース
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加藤春岱 織部手付 鉢 [おもろいで!幕末尾張陶]

サントリー美術館で11月迄開催されておりました、美濃焼の一大展観・・・タイトルの「しびれるぜ!桃山」、大人気の内に閉幕したらしいです。

私も出張の合間に駆け足で覗いてまいりましたが・・それはもうすごい物量とクォリティでした。

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とはいえ、その価値は高まる一方で、もはや一般の茶人様方のみならず我々一般の美術商でも扱えない価格帯です。(+_+)

そんな中で、私なんかが常々申し上げておりますのが・・・「おもろいで!幕末尾張陶」

幕末京焼ほど高価でなく、尾張徳川藩により非常に高品質(または味わい深い)な作品のバリエーションが茶陶を中心に揃っているのです。

今回は、瀬戸の近世屈指の名工と云われる、「加藤春岱」作品の御紹介です。

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加藤春岱 織部手付 鉢

幅(対角最大)29㎝ (面幅)23㎝ 高さ(取っ手含む) 19.3㎝

19世紀後半

江戸時代、尾張藩の御用品を焼成した御窯屋として御三家・・・「加藤唐三郎」「加藤仁兵衛」「加藤太兵衛」がありました。

そのうちの、赤津の仁兵衛家で享和2年に誕生したのが春岱です。

15歳で十二代として仁兵衛家を継ぎ、名古屋城内の御深井焼にも従事しました。

その技術力でおおいに活躍し、嘉永3年(1850)に十四代尾張藩主 慶勝から春岱の号を賜りましたが、翌年に藩の咎めを受けて家督を息子へ譲り隠居。美濃国今尾にて開窯。
この時期にのびのびとした環境の元、さらなる制作活動に邁進します。

安政2年(1855)に許しを得て再度家督を継いで仁兵衛家十三代となり、御深井焼へ奉仕しました。

平澤九朗の元にも長らく滞在し、一緒に作陶活動もしており九朗作といわれるものの中にも春岱の手による作品が多いといわれます。

あらゆる作風に長け、その作品は瀬戸近世屈指の名工と云われました。

廃藩後も作品を遺しましたが、明治10年3月18日76歳にて永眠し、それを以て仁兵衛家は絶えてしまう事になりました。


作品紹介に戻ります。

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古織部を思わせる格調のある、堂々とした作行です。

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取っ手やその付け根の造形も中々です。

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反対側の意匠は、また異なります。

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上から。

たっぷりとしたサイズですが、手付きでありますのでこのくらいの方がお菓子やお料理を取り上げしやすいのです。

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「春岱」銘です。

春岱窯跡出土例の印です。

春岱は、明治期でもかなり人気が高く、当時より贋作が横行しておりました。
ですので、中には100年近く経ってるものもあり、それなりに時代感も出てしまっております。
しかし、作行はもちろん印影ははっきりと異なりますので、現在では判別可能となっておりますが、過去には書付物などで曖昧なものが多数流通してしまっております。

今のようにはっきり資料などが揃っていない時ですから仕方が有りませんね。(^^;


菓子器はもちろん、懐石の預け鉢にも最適です。

※御成約済みです。

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御深井焼 黒織部茶碗 ふたたび。 [おもろいで!幕末尾張陶]

長らく・・・コンデジと、借り物のミラーレス、たまにスマートフォンで撮影してアップしてきましたが、この度・・・久しぶりに、ミラーレス一眼レフを導入致しました。(高くないものですが・・)

ということで、コンデジとスマホではうまく写せなった道八の蕎麦に続いて、5月のご紹介しました御深井焼 黒織部茶碗も”再”撮影してみました。

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御深井焼 黒織部 茶碗 堀内不仙斎箱 加藤春仙七十六翁極め 村木家旧蔵


口径8.8㎝ 胴径9.5㎝ 高さ9㎝




別段、照明だとか遮光だとか・・・はこだわっておりませんので、色調が明るめになってしまいます。

この作品、実物の味わいがなかなか写真には出ないのです。。。

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見込み

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反対側

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高台脇

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堀内不仙斎の箱書です。

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春仙の極めです。

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旧蔵の貼紙です。

黒織部、は沓形が多く、半筒状の黒織部は本歌はかなり稀少です。

御深井焼は、尾張徳川家の秘蔵の伝世品を直接参考にうつさせて頂くことが出来る環境というのも、作行の違いのひとつのポイントであると思われます。



さて、印象は変わりましたでしょうか?
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御深井焼 三島獅子耳 水指 [おもろいで!幕末尾張陶]

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御深井焼 三島獅子耳 水指

口径13.8㎝ 胴径15㎝ 高さ18㎝


御深井焼の水指では、よく見られる象嵌三島のタイプです。

この花文の印、獅子耳の型は後年にも継続して使われております。

丸紋の中には”不” ”老” ”長” ”生”の字が込められております。

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深井製印はありません。 斉荘公就任前後の御深井焼に分類されます。

運びにも、置き、にもほどよい大きさで、大変使いやすい水指です。


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御深井焼 瀬戸釉 水指 近左真塗蓋添 [おもろいで!幕末尾張陶]

お茶碗が続きましたので、水指に参りましょう。

その前に・・・御深井焼について、少し詳しくご説明申し上げたく思います。


御深井焼(おふけやき)

徳川御三家の筆頭である、尾張徳川家の御庭焼。濫堀を禁じられ、城に秘蔵されていた祖母懐の土を使った。

初代義直が御庭焼として名古屋城御深井丸に寛永年間(1622~1644)に開窯した。

次の光友の時代は前期の最盛期で、尾張では御深井焼以外にも横須賀御殿で、江戸では戸山御殿でそれぞれ新たに御庭焼が始められた。

その後八代宗勝まで断続的に続けられたが、九代宗睦の代で緊縮財政の為一時中断。

十代斉朝の文政年間(1818~1829)頃に新製染付焼の加藤唐左衛門により再興された。

茶の湯に熱心だった十二代斉荘公時代に最盛期を迎える。

斉荘は裏千家11代玄々斎に茶事を学び、伝来の名品や贈答用の御庭焼への箱書をさせて重用した。

これは玄々斎が三河奥殿藩主松平家から裏千家へ養子入りしており、尾張藩家老の渡辺規綱は実兄であること、斉荘が藩主に就任したとき(天保10年1839)規綱の長男寧綱が家老になっている事とは無縁ではないと思われる。
 
この頃には名古屋城内では御深井焼以外に楽焼の萩山焼、その東側では東山焼が新たに始められ。江戸藩邸では戸山焼の復興と、加えて楽々園焼も始められた。

斉荘没後は、江戸藩邸のやきものは廃窯になり、御深井焼・萩山焼も断続的に焼成されるのみで、明治4年に廃窯となる。
 

前期御深井焼では藩主及び、藩の献上品・贈答品・城内調度品などが制作され、後期御深井焼 ではそれに加えて、藩主自らの手造りや家臣への下賜品が作られるようになる。
 
出仕したのは、前期は瀬戸の御窯屋三人衆である加藤唐三郎・仁兵衛・太兵衛家と御焼物師 加藤新右衛門・三右衛門家で、義直が美濃より招聘し瀬戸の再建の為に擁護した家である。
後期御深井焼ではこれらの加藤家と新たに新製染付焼の加藤唐左衛門・川本半介らが参加し、尾張藩士で陶芸を得意とした平澤九朗や正木惣三郎、加藤春岱なども加わった。


先日よりご紹介を続けておりますのは、後期御深井焼の中でも最盛期の作品です。

それでは、水指のご紹介です。

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口径11.5㎝ 胴径13.5㎝ 高さ16.8㎝


見事な水指です。

瀬戸釉の発色もよく、この色合いと手慣れた感じは・・九朗の関与を感じさせます。

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土も良い物を使っており、印付きも抜群です。

”賞賜”印も併印され、尾張徳川家十二代斉荘公が家臣に賜る為の作品で製作されたものの中でもかなりの上手にあたります。


塗蓋が伝世しておりませんでしたので、この度・・・コストをかけて六代川端近左さんに特注いたしました。




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御深井焼 黒織部茶碗 [おもろいで!幕末尾張陶]

次は、黒織部茶碗です。

黒織部、は誰しも知ってる有名なものですが、桃山期の伝世品では沓形の浅い茶碗がほとんどで半筒のような黒織部は大変希少なのです。

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もちろん、幕末尾張のやきものでも少な目になります。

当店では2月の大美アートフェアにて出品致しましたが、このような短期間で2点目が入るのも珍しいのです。

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口径8.8cm 胴径9.5cm 高さ9cm

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「深井 製」丸印です。

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やや四方のように見える口造りですが、これまで扱った黒織部に比べて非常にサイズ感が良く、使い易い大きさと重量です。

こちらも村木家旧蔵品です。

加藤春仙の七十六翁の極箱に堀内不仙斎の箱書があります。
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御深井焼 志野茶碗 [おもろいで!幕末尾張陶]

続きまして、志野茶碗です。

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非常に良い釉を施されております。

この時期の志野の釉調は、なかなか今では出ません。

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やや、四方気味の口造りで、薄く上がっております。

口径9.3cm 胴径10cm 高さ8cm


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「深井 製」 丸印です。


こちらも村木家旧蔵の逸品です。

※ ご成約済です。



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御深井焼 椿手茶碗 [おもろいで!幕末尾張陶]

それでは・・JFKの方でも『御深井焼』展をいたしましょう。

御深井焼

尾張 徳川家の御庭焼として名古屋城御深井丸に17世紀前期に開窯し断続的に明治4年まで続く。

濫堀を禁じられ、城に秘蔵されていた祖母懐の土を使った。

赤津の陶工尾張藩士など単独陶工として技に秀でた者が従事し、藩窯として優品を遺す。

とくに茶の湯に熱心だった十二代斉荘公時代(1839~45)に最盛期を迎える。


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大変珍しい釉調の御深井焼です。

手の収まりも良く、釉薬の上がりも抜群です。

丁寧な轆轤挽のあと、すこし沓形に形成しております。

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「深井 製」 の丸印と 「賞賜」 楕円印があります。

口径 12cm 高さ 6.5cm


名古屋の国焼きコレクターの第一人者でもあった、村木家の旧蔵作品です。


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