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『柴田是眞 掛け軸 雪遊び図』 柴田眞哉 極め箱 [掛け軸]

岡本豊彦からの、柴田是眞です。

『ZASHIN』として、海外では名をとどろかせておりますが日本での再評価は近年になってからのことです。

そんな是眞は、蒔絵師と画工としてのふたつの顔を併せ持っております。

文化14年(1817年)11歳の時より、精巧な細工に特色を示す初代古満寛哉に蒔絵を学び、寛哉の親友であった谷文晁も指導を受けたと伝わります。

寛哉は原羊遊斎と並ぶ蒔絵師と称されてますが、羊遊斎が酒井抱一の下絵をもとにした華美さを特徴とするのに対して、職人気質の精巧な作行であります。

その、精神性は是眞の元となる職人気質性に引き継がれるのです。


文政5年(1822年)、16歳にして・・・他人の下絵をあてにした蒔絵の仕事に限界を感じた是眞は、自身で下絵を描ける職人を目指して四条派の鈴木南嶺に入門。

その後蒔絵師としての修行を終えて独立し、文政13年(1830年)24歳の春・・・絵の修行へ京へ遊学します、 その時、南嶺の紹介にて『岡本豊彦』に入門することになるのです。

この時期、東福寺塔頭三聖寺の什宝である『釈迦十六羅漢図』の模写をする機会に恵まれます。

さらに、妙心寺塔頭大雄院の方丈襖絵を任されております。

修行中の身であることを考えるとこれはすごいことであり、画工としての是眞の能力を裏付けられていることを表します。

この辺で、作品にまいりましょう。



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『柴田是眞 掛け軸 雪遊び図』


 柴田眞哉 極め箱



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洒落た構図です。


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上の重ね色紙様には寒牡丹が。

ん? 色紙から図柄が飛び出しているじゃないですか! ど、どういう発想でしょうか。


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下の方では、子供が雪遊びをしております。


なんとも、愛らしい図です。

よく見ますと、子供の周りには金箔が散らされており・・・雪があちこちに振ったようにも見えます。

そして琳派風に図案化された河を挟んで雪が積もっております。

降り始めた雪を固めて懸命にだるまを作ろうとしている子供の周りには雪を敢えて描かず、手前の雪でだるまが作れるほどの雪をイメージさせるのです。

このことで、白色を塗りたくって寒々しくせずあくまで雪遊びの子供の雅さをスポイルしないようにしてあるようにも感じます。



このお軸は元は是眞の五節句を題材とした掛け軸の内の1本で、それらを1本づつ分けて・・・是眞の息子である柴田眞哉の箱が仕立てられております。

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是眞と同じく、漆絵の技を磨いた眞哉によるこれまた騙し絵的な洒落箱になっております。

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センター部分は古い箱をはめ込んだ様に見せてますが、実は塗分けです。

なかなか、の洒落掛けです☆




その後の是眞は、時代が変わった明治期に入っても蒔絵界の重鎮として活躍します。


ウィーン万国博覧会や内国勧業博覧会でも受賞、明治23年に帝室技芸員制度の初回で任命されております。

(陶芸界では3代清風与平、香山はそれ以後になってます)

さらに明治22年のパリ万博でも最高位である金牌を受賞します。



このような華々しい、才能の開花と工人としての人生を過ごした是眞ですが・・・


ひたすらに、中身で勝負という姿勢は旧来の日本人に理解が少なく・・・浮世絵や若冲と同じように、海外での高評価からの逆輸入による再評価という形でブレイクするのです。


それは、蒔絵、絵画という2面、幕末と明治という2時代、そういった特殊な状況がこれまでの研究・評価のなかで難しさがあったことも要因と言われます。

しかし、インターネットでの情報も氾濫し、世界が繋がっている現代ではもはやそういったことは起きにくく、ホンモノが埋没することも少なくなった半面、ちょっとしたことでそれ程でもないものが評価されたり、ということも起こっていくことでしょう。

何が正しい、間違っている、というのは後世にお任せするとして・・・

その時、その時で自身の心の声を聞いて、美術を楽しめていけたら良いですね!


今年は、新型コロナウィルスで現実世界での断絶が起こり皆様方に於きましても大変な一年になったことと思います。

当方も、多数の展示会・プロジェクトが休止することになりましたが。。。

このウェブ上である『JFK』を核として、また再開後はインターネットを併用してのリアル展示などでの皆様とのお付き合いをさせて頂き、コロナ禍ではありますが・・・本年も多数のご縁を頂戴出来ましたことを嬉しく思います。


2020年は本日で最後の一日を刻み、数時間後からはまた誰も予測の出来ない新しい年・・『2021年』がスタート致します。

私も、さらに予想を超える面白さ・愉しみを探して新しい一年を頑張って参りたいと思っております。

今後とも、どうぞよろしくお願い申し上げます。



                             藤井香雲堂   藤井和久



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『岡本豊彦 掛け軸 紫蕨図』 須磨対水 極め箱 [掛け軸]

当店では、掛け軸の取り扱いは・・・かなり少ない方だと思います。

毎回、売り切ってからしか次に目がいかないような感じですか。

2020年度は7本しか仕入れておりません。(^-^;

その最後の仕入れ2本をご紹介してまいりましょう。

奇遇な、ご縁の2本です。



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『岡本豊彦 掛け軸 紫蕨図』


   幅 22㎝  高さ 132㎝  

本紙 幅 20.3㎝ 高さ 55㎝


箱 対水 極め



小ぶりな、待合いに良さげなお軸です。


もう少し、寄ってみましょう。


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上下は石を合わせた時代の紙で、軸先も象牙の味わいのある風合いとなっております。


岡本豊彦は呉春門下で師である呉春の作品はすべて模写して画力を磨いたといいます。

四条派というものを作り上げたのは豊彦であり、呉春が与謝蕪村から学んだ俳諧的文芸や南画的文学と、円山応挙から学んだ写生画風を合わせた画風です。

京の画家の中では、「花鳥は景文、山水は豊彦」と称されました。

門人に柴田是真や塩川文麟らを輩出します。


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さわらび、のように見えますがゼンマイです。

どちらも、春の訪れを表す植物のひとつであります。




岡本 豊彦(おかもと とよひこ)

安永2年7月8日(1773年8月25日) ~ 弘化2年7月11日(1845年8月13日))



このような、江戸後期の南画の名人でありますが・・・・お値段は大変安い、という。。。(^-^;


次は、逆にお値段は高い、という門弟のご紹介です。




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2020年12月27日の新入荷情報です。 [新入荷]

大美正札会、無事に終了致しました。。

言葉通り・・事が無かったような気もしました今年の最後の展示会です。(^-^;


仕入れ、の方も今年最後のご報告となります☆


♢初代 眞葛香山 黄釉龍ノ図 花瓶 合わせ箱

♢初代 眞葛香山 青磁釉片身換 煎茶(汲出し) 【5客】

♢初期大樋焼 黒茶碗 銘 星月夜 吸江斎 箱



帳面仕事ならびに、家の方の大掃除はなんとか山を越えました。

ブログの方はお休みなしで準備中です☆

まだ、終わりません!



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第三回 大美正札会 準備完了です[ぴかぴか(新しい)] [催事]

今日からは、冬ツアー最後、そして今年の千秋楽であります…大美正札会です。

本日は荷飾り日でした。

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今回は、新館2階と本館の2階の平面会場となり見回りやすくなっております。

新館はいつもの十翔会と違い、立式となっております。

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当店出品エリア。

新館2階入ったところです。

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26日(土)10時~18時

27日(日)10時~17時

私は所用にて、明日は15時までの滞在となります。

お時間のご都合のほど…どうぞ、宜しくお願い申し上げます。
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2020年12月19日~21日の新入荷情報です☆ [新入荷]

今年最後の、仕入れ出張ツアーが終わりました。

どこも、出品点数が少なかったのですが・・・まぁ、珍しいものを入手することが出来たかと思います!


次は、26日(土)・27日(日)の大阪美術倶楽部で開催されます『第3回 大美正札会』を残す、のみです☆

当店は38点、出品いたします。


さすがに、今の情勢では・・・大きな声でお越しください!とは言えませんので、ご無理のない範囲でお愉しみ頂けたら、と思います。


当店の出品エリアの画像は、また前日にアップ致します。メールなどでのお問い合わせで承ることも出来ますよ☆



では、19日~21日の新入荷情報です。



上田直方 信楽焼水の子写 茶碗 即中斎 箱※ご成約済みです。

津塩吉太郎 湊焼 半史写茶碗 ※ご成約済みです。

真葛香斎 浅黄青海波末広 末広水指 ※ご成約済みです。

初代 眞葛香山 乾山意白椿画 茶碗 遺作箱 七十三翁
※ご成約済みです。


加藤民吉 染付祥瑞丸紋向付(一)

永楽正全 青交趾中皿  【10枚】

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『三代 豊楽焼 俵形 青茶碗』 [おもろいで!幕末尾張陶]

豊楽焼、という言葉は当ブログではちょくちょく出させて頂いておりますが、世間的には名古屋のみでメジャーなブランドのような気もします。(^-^;


豊楽焼、江戸時代後期から約130年続いた窯でした。

しかも尾張徳川家御用窯、です。

初代の名は『利慶』といい、御焼物師として生涯を作陶に打ち込んだ人生であったと伝わります。

二代が『豊八』、と号し寛政元(1789)年以前より窯を築き、技巧みな作陶をしていたようです。

後に、『香久連里』の地へ。

三代は、豊八の弟子が継承し『豊介(助)』という名で、豊楽焼を素焼きからさら作風の広がりとさらなる完成度の高みへと進めました。

もちろん、三代も御用窯です。


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『三代 豊楽焼 俵形 青茶碗』


幅 12.2㎝ 高さ 8㎝ 高台径 4.8㎝


文化14(1817)~元治元(1864)年頃

共箱


なかなか、見かけないタイプの俵茶碗です。

尾張徳川家に蔵される、有名な俵茶碗を豊楽焼の得意とする楽焼・・・しかも、青色にて表現しております。


ぐるっと見回してみましょう。


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雪の輪のようにも見えますね。



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反対側です。

このように金彩もここまで綺麗に残っているのも珍しいのです。

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青、は格調の高い色です。同時代・・・この色をお茶碗に取り入れた陶工として、京都の楽家があります。

了入などでも、青楽の茶碗が作られておりますが、同色系と思いきや・・予想外に抹茶を点てると味わい深いのです。


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見込み、に箆での造形が見られます。

面白いことに・・・俵形ですが、なんと径は楕円ではないのです。見た目のマジックです。


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高台側です。


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口造りは、まるで筆洗形を思わせる意匠取りですね。


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共箱です。窯場のあった『香久連里』の字が書かれております。

前津村のあたりは、熱田神宮と名古屋城を結ぶ道の間にあり、藤の名所であったり富岳三十六景の一部があったりと、景色の良い名所でもありました。

香久連里は、今でいう大須観音の商店街のあたりでしょう。

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過去に開催された豊楽焼の展観でも同手が展示されておりました。

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しかし、この手の作品はなかなか伝世品が少ないもので、今回手にできたのはなかなかのタイミングでありました☆


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三代 豊楽 (豊介)安永8年(1779)生~元治元年(1864)没


古の文献に、『京師に求むるに及ばず』という言葉が豊楽を賛辞するコトバが遺されてます。


私の師匠から伺った話では、当時の徳川家の茶会記では主茶碗に『豊楽』、2碗目に『楽』を使われていたそうです。


こういった作品を見ると、そういうお話も頷けます。



さて、ここ数日全国的に寒中のみぎり、くれぐれも御身体ご自愛くださいませ。

皆様にご多幸ございますように、福俵のご紹介でした☆





・・・・今年は、本当に俵茶碗のご縁がやたら多かったです。。。(^-^;


※ご成約済みです。

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『初代井上素三 常滑焼 茶器 根来蓋 村瀬玄之作 添』 [茶道具]

今回は常滑焼、です。

六古窯のひとつとして知られる常滑焼は、その歴史は平安時代迄さかのぼります。

壺や甕などを中心に広がり、人気を博したようですが瀬戸の他の窯と同じく大正時代あたりからはタイル生産などにシフトする窯元も多くなっていったようです。

江戸後期の赤井陶然などはまるで古備前のような上がりのものもあり、また作行も非常に上質でうならされるものもあります。

この作品は、大正期~昭和初期に技を発揮した井上素三の佳品です。


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初代井上素三 常滑焼 茶器

根来蓋 村瀬玄之作 添


幅6.4㎝ 高さ 6.8㎝

大正時代



茶器としてではなく生まれたものを、見立て茶器とされております。


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なかなか端正に作られたものです。

元は、猪口向かもしれませんね。


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瓢箪型の印です。



井上素三(いのうえもとぞう)

富本岩次郎の三男として常滑市に生まれ、後に井上家の養子となる。

初代森下杢二、二代松本三光に師事。

明治26年名古屋の柴山準行より茶の指導を受けたことで、以降の作陶に大きく影響を受けました。



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根来塗、の蓋ですがこの作品が百貨店での展観に出される際に、名古屋の張貫師である村瀬玄之に作製依頼を特注でされたものです。

箱の側面には玄之の共箱があります。

替茶器としても良いですが、これをお点前用として愉しんでも味わい深いです!



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『初代 須田青華 萬暦赤絵 煎茶碗 5客』 [茶道具]

食と器のマイスター、として知られ・・・近年さらに評価が上がっております北大路魯山人。

元は書家、篆刻家として身を立て才能を発揮しておりました。

当時の名は福田大観。

食客として山代温泉に滞在し、請われるままに看板を製作しておりましたが、そこで運命的な出会いを致します。


大正4年(1915)11月 山代にある磁器製作窯である、須田青華の「菁華」の刻字を製作。

その見事な出来映えに菁華窯の仕事場に入ることが許され、大観は初めて絵付けを体験しました。

書家の大観も最初は、素焼きの上では筆が思うように滑らず困惑したそうですが、この日より看板を彫るかたわら菁華窯に通い・・・次第に陶芸の世界へと入り込んでいったのです。

初代菁華は大観の大胆で正確な筆運びを見て才能を見出し、惜しみなく自身のノウハウを伝えました。

魯山人の器のはじまりです。


もちろん、そのエピソードを抜きにしても青華は現在の4代目にいたるまで高い評価のもとに作品は様々な分野で愛されております。

今回は、初代の優品のご紹介です。


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初代 須田青華 萬暦赤絵 煎茶碗 【5客】


幅7.5㎝ 高さ4.5㎝ (各)

明治時代末~大正時代


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初代 菁華がは若い頃に東京帝宝博物館で古画の模写に従事し、明治13年京都で製陶を学びました。

この頃の経験が、古作の写しの腕に活かされたのでしょう。

見事に萬暦の意をこの小品に込めております。


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初代須田菁華 文久2年~昭和2年(1862~1927)

石川県金沢市泉町に生まれる。金沢と京都で製陶を学ぶ、明治16年(1883)に九谷陶器会社に招かれ、2年後画工長として腕を振るった。

明治24年(1891)には会社が解散したのを機に独立して陶画を始めた。明治39年(1906)には菁華窯を築き、染付、祥瑞、呉須赤絵、古赤絵、古九谷などの倣古作品を得意とした。なかでも、その名(号 菁華)のとおり染付作品は秀でている。


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共箱です。


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初代青華が亡くなった後・・・魯山人は、金沢美術倶楽部での講演でこう述べたそうです。

『私は、先代青華に大いに教えられた』 と。




こちらの作品は、本日よりヤフーオークションにても販売致します。(ID は kzracing です)


よろしくお願いいたします。

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名美 数奇の市 2020準備完了☆ [催事]

準備完了です!


会場全部が入札・・・全入札、はさすがに我々業者でも、見るのが大変・・・・これは困ったことです。

明日からご来場のお客様方、心してかかってくださいませ。(^-^;


当店の出展エリアです。(2階西側ゾーン)


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ドローン風(お約束)



当店のおすすめ、はきちんとアテンドさせて頂きたく思いますので、ご遠慮なく近くのスタッフまで『藤井』をお呼び出し下さいませ☆



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今夜は、師匠にうな重をごちそうになりました☆



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【初代 高橋道八 一入模 黒茶碗】 [幕末京焼]

当店でもちょくちょく取り扱っております・・・・仁阿弥道八、名工であるのは周知のとおりです。

しかしながら、その先代である・・・陶器師 道八の初代はあまり知られておりません。


1740(元文5)年3月17日、伊勢の国・・・

名は周平光重、亀山藩の高橋八郎大夫の次男として生まれました。

京焼赤絵磁器の祖である奥田穎川やその愛弟子である青木木米よりも少し前になります。


1763(宝暦13)年に京都三条 粟田口表町にて陶業を学んだと伝わります。

しかし、その後の軌跡が不明です。

松風亭と号し、共箱の作品は存在します。

仁阿弥の初期作品との混同が多く、美術館所蔵品でも非常に判断の難しいものもあります。


しかし、京焼の中で・・・比較的ベンチマークとなるのは建仁寺所蔵の作品です。

初代道八も、建仁寺塔頭である正伝永源院に伝わる南蛮水指は作品が共箱と一緒に現存しております。

同じく、共箱も現存している初代道八作品の中でもハイレベルの作品が入りましたのでご紹介致します。


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【初代 高橋道八 一入模 黒茶碗】


幅   12㎝

高さ  7.7㎝

高台径 4.9㎝



非常に端正な楽茶碗です。

一入を模す、とだけあって朱釉もきれいに発色させております。


ぐるっと一周してみましょう。


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上から


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口縁部分


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高台側


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書き銘です。

しんにょう、の部分が仁阿弥とは異なります。


サントリー美術館で開催された、仁阿弥道八展の際にも数点展示されておりましたが、伝世品での優品はそう多くありません。

私の写真の技術が不足で・・・このお茶碗の魅力が画像にうまく表せてないのが残念です。


本当になかなかの逸品です☆


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初代道八は、1804(文化元)年に亡くなります。


数年前までは、初代道八として分類されていた”亀セ”印の作品の中で・・・確実な製作年が特定できるもので仁阿弥作品というものも発見されました。

今後はもっと初代についても新たな研究が進むことかと思います。

この作品はそのレベルの高さと仁阿弥作品との類似性から、初代の円熟した技術が当時22歳であった仁阿弥に確実に引き継がれたことを示すものとなります。


初代は24歳頃に粟田にて陶業のスタートにたちました。

父を亡くした仁阿弥はその2年後・・・奇しくも同じ24歳の時、粟田蓮院宮への出入りを申し付けられ、後世に道八の名を広く知らしめることとなるのです。



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