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【打出焼 舟 向付 5客】 [食の器]

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打出焼の創始は斉藤幾太がその特有の粘りや土質の良さに着目して和田九十郎正隆や京都の陶工を招き、御庭焼の窯を築いたのが前身です。

明治42年(1909)に中川砂村指導のもと阪口庄蔵が打出春日町7(旧打出村字古敷23)の打出丘陵に登り窯を築き打出焼が始まりました。

作風は京焼系で阪口砂山(庄蔵)が手掛け、花入・菓子器・茶陶など、幅広く焼いている。

琴浦窯の和田桐山の初代が従事していたことでも知られます。

古い粟田風の味わいもあり、また文化人たちとの交流の地としても盛んで、雅な窯であったようです。

二代目が昭和40年代迄継続したが、現在では途絶しています。


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この作品は、薄造りに七宝透かしや象嵌を施した、上品な向付です。

その繊細さ故に焼成時の窯切れがありますが、上釉がきちんとかかっており強度もしっかりと仕上がっております。

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印は、ひらがなの”うちで”で、共箱も現存致します。

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サイズ 約15.5㎝×10.5㎝ 高さ5.5㎝


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※ご成約済み。




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TEL 090-8578-5732

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~季節のおとどけもの~【器たより】 [食の器]

当店も、食の器を扱い始めて・・・10年ちょっとになります。

最初は懐石食器でしたら、なんでも・・でしたが、ここ1,2年は他の柱となる取り扱いジャンルと共にさらに特化して、食器というくくりでは集めず、あくまで当店ならでは、の選択眼でのみの蒐集とさせていただいております。

で、2018年から年に数回お送りいたしております、ご紹介紙『きせつの器たより』です。

コロナ禍で、なかなか新入荷が無くお届けできないかな~と思っておりましたが、パタパタっと作品のご縁がありまして、【夏の器たより】を制作することが出来ました。(^^♪


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当店とご縁のございます、お料理屋様と懐石にご興味のある方には、週明けにお送りさせて頂きます。


当ブログをご覧の方で、ご用命の方は・・弱冠数の予備がございますので、お申し出頂ければお送りさせて頂きたく思います。



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永楽即全  黄交趾菊花 向付 【10客】 即中斎箱 [食の器]

久しぶりに、スカッとした交趾釉の向付が入りました☆

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永楽即全  黄交趾菊花 向付 【10客】  共箱 即中斎書付


当店の在庫にございます、紫釉の菊向付が了全からの伝統の古典的な意匠であるのに対して・・・

こちらは、妙全といった懐石食器の一時代を経て、即全が新たに永楽善五郎をフルラインナップの総合陶磁器工房として拡大させた時期に生み出した・・・昭和新時代の食の器といえます。


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安定した発色技術により、黄交趾は明るく映えるように。

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焼成による若干のサイズの誤差はございます。

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1客、高台の畳付きに小シミ、1客、高台脇に微小しみ のみです。

あとは新品同様です。

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共箱

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即中斎 書付です。

即全時代の全盛期は、いわゆる永楽善五郎展のようなものでの作品はほとんどに書付がされておりました。

今では、費用には加味されませんが。。


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サイズ  幅15㎝~15.3㎝×13.3㎝~13.8㎝ 高さ 6.5㎝~6.8㎝

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利休形折敷に合わせて。

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銘です。

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少々、お値打ち価格で入りました☆



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藤井香雲堂  JFK お問い合わせ先


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《古赤膚焼》【隅切四方 手塩皿】10枚×3組 [食の器]

シンプルながらも・・・嫌いな人が居ないという珍しいやきもののひとつに、赤膚焼というものがあります。

奈良絵を施されたものがイメージされますが、釉薬だけのものも人気があります。

やや赤みを帯びた器に乳白色の萩釉を掛けた、どこか寛永の京焼の繋がりを思わせるものです。

今回は、赤膚焼の約150年程前の作品の器です。


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古赤膚焼 隅切四方 手塩皿 幅7.8㎝ 高さ2.8㎝


やわらかい赤膚釉で、四隅をくにゅっと曲げてアクセントを付けたものです。

しかし底面はきちんと取られており、いろんな使い方が出来ますね。

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全然、使われてない状態で綺麗なまま伝世しております。


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10枚組 で3組ご用意ございます。 


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全部並べると壮観です。。。


赤膚焼は天明6年(1786)大和郡山藩主・柳沢保光の保護を受け、信楽の陶工である弥右衛門により4年間作陶されました。

そして、住吉屋により本格窯として、寛政元年(1789年)五条村赤膚山に藩窯の登り窯が作られ、京都の五条坂より陶工・丸屋治兵衛が呼ばれて焼成され、その功績から・・・保光から名字「井上」と「赤膚山」の窯号と「赤ハタ」の銅印を与えられ、赤膚焼が確立されました。
しかし、保光の没後は民窯に戻ってしまします。

赤膚焼で有名な奥田木白は、元は保光の周辺に集まった文化人たちのひとりでありましたが、陶工へと転身し、天保7年(1836年)西大寺奉納楽焼茶碗を製作。
嘉永3年(1850年)頃には名工として知られ、幕末期に赤膚焼の名前を広めました。
京焼の技術を取り入れ発展させ、現在へ繋がる赤膚焼の礎を確立しました。

赤膚焼は遠州七窯の一つであり、確固たる人気がありましたが・・・「東の窯」「中の窯」「西の窯」と呼ばれる3つの窯に分かれ、盛んになりましたが・・結局、3つとも明治の終わりまでには途絶してしまいました。
その後、昭和期に古瀬家が「中の窯」を復興させ、そこから再び赤膚焼が広がることとなります。

今回の作品は、中絶前の最後の時期の赤膚焼となります。

赤土・萩釉・「赤ハタ」勾玉印と3拍子揃った優品です。

お値打ち価格ですので、是非お問い合わせくださいませ☆

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※ご成約済みです。



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永楽即全 紫交趾菊 向付 【10客】 十七代 極箱 [食の器]

『定番』のアイテムでありつつも、近年流通がめっきりなくなってしまった向付のご紹介です。


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永楽即全 紫交趾菊 向付 10客揃

十七代 永楽善五郎 極箱


幅 12.5㎝~13㎝×15.5㎝~16㎝  高さ 5.5㎝


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この、紫交趾によるシックながらも艶やかさも感じさせる向付は、本歌は了全時代にまでさかのぼります。

了全・保全が、紀州の偕楽園のお庭焼に招聘された話は有名ですが、その際の偕楽園焼の紫交趾と浅黄交趾の組み合わせによる茶陶作品の色彩の上質さはこれまでの京焼とはまた違うものだりました。

そこで得た釉薬の技術やセンスで、表千家吸江斎による好みものとして1827年に世に出されたものに紫交趾菊向付があります。

しかし、それは手びねりによるもので形状としては・・・少し魅力が弱いものでした。

その後、保全によりブラッシュアップされ、一般的には妙全作品が中心に流通いたしました。

しかし、製作の手間がかかり製作数が少なかったのでしょうか・・・丈夫で破損しにくい造りで現存率も高そうですが、他のものに対して流通数が少なく感じます。

しかも、ほとんどが妙全です。

そこで、即全時代に特別注文品として製作依頼されたのが当作品です。

即全による菊向付が、まず無いといっても過言ではありません。

しかし、さすがの技量で形状の端正さ、釉の安定はむしろ妙全作品よりも上かもしれません。

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そういう事情で、二十客揃いとして製作されたものを当店にて、十客づつのパッケージにお分けいたしました。

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十七代の永楽善五郎の極め箱を設えております。

当代さんも、『父の作では、珍しいですね・・』とのことです。


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菊といえば、9月を思い浮かべますが、5月は令和となって丁度一年です。

『菊』は皇室の文様でもあります。

令和の2年目を迎える今月に、ご紹介致しました次第です。(^^;








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前端雅峯 宗和好み 銘々盆 【10枚】 [食の器]

数日前から、いよいよ”初夏”という言葉がふさわしい季節になってきました。

本日の非常事態宣言 延長の発表内容は、ピタッとこの状況が終わることは無いという前提で・・・医療が破たんしないようにすることと、いかにこのウィルスが存在する世界と共存して、気を付けながらも新しい生活を構築するか、という事の宣言でもあったと思います。

そういうことからも、”茶会”や”懐石料理”の形式も工夫・変革が必然となってくることと予測されます。

そこで、本来でしたら・・・これからの風炉の時期や、立礼などでも活躍する”銘々盆”。

このアイテムこそが、ソーシャルディスタンスをもちつつ、おもてなしが出来る菓子器でしょう。


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前端雅峯 宗和好み 銘々盆 【10枚】


幅 18.2㎝ (6寸) 高さ 1.8㎝(6分)


なかなか、銘々盆では珍しい種別です。

1枚をアップしてみましょう。


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デザインは、伝統的にみえて大変洒落ております。

その要因となるのが、薄い造りです。

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石川県の白山山麓から採取した”立割欅”を素材とし、山中塗のお家芸といえる・・・繊細な轆轤挽による形成です。 

盆全体を摺漆を施し、見付中央は堅下地黒真塗でアクセントを付けております。


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裏側も作りこまれております。

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一枚一枚に、漆で銘が入っております。


前端雅峯は、木地師である初代の前端春斎の長男として生まれました。

その後、名工たちに師事したあと、様々な寺院や神社仏閣にも関わり、表千家や裏千家とも繋がりを深く持ち茶道具の世界で足跡を残しております。

作品をもう一度見てみましょう。

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このデザインは”宗和好み”とされております。

金森宗和です。

江戸前期の茶人で、飛騨高山城主金森出雲守可重の長男として生まれました。

大徳寺の紹印伝双に参禅して剃髪、宗和と号する。

父から茶道を学び、のち宗和流を開き、侘び宗旦に対して姫宗和といわれ、天皇や公卿衆の茶湯に

大いに貢献しました。明暦2年(1656)歿、72才。

なにより、有名なのは陶工・野々村仁清を見出し、プロデュースしたことです。

仁清の洒落たモダンさは全て宗和の影響によるものと言われております。

また、大工・高橋喜左衛門と塗師・成田三右衛門らに命じて”飛騨春慶塗”を生み出したとも。

雅峯は、近代茶道で伝統的な作品を製作しつつも、寛永の美にも思いを馳せたのでしょう。

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よくある銘々盆と異なり、一枚一枚を薄く轆轤で形成しておりますので、各毎ごとに形状にばらつきがありますが、仕上がりクオリティは寸分狂いなく一定です☆

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共箱です。


今日は5月5日の節分の日です。


鯉のぼりのお菓子と合わせてみました!


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※売却済みです。






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楽 旦入 柚味噌皿 【5客】 [食の器]

楽の向付のご紹介です。

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楽 旦入 柚味噌皿 【5客】


楽吉左衛門の向付の中では、定番のアイテムのひとつになります。

その色彩や形状の侘び加減は、茶人さんにもお料理人さんにも人気の意匠です。


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元は、宗旦好みであり本歌は一入作といわれます。

歴代の作により写しが作られたことで、存在が広まりました。


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印銘があります。


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引き締まった小振りな寸法ですが、茶懐石の向付であるという目的意識で元伯宗旦により設計デザインされた当時としては新世代の向付であります。

桃山陶器との明確な違いがそこにあります。

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シンプルかる流れる形状は、利休の回帰を目指した宗旦の意識があり、調和と控えさを包括したものでしょう。

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状態良好です。

経年により薄いそげのようなものは有りますが、基本的に無傷完品です。

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共箱です。


楽 旦入(1795~1855)

寛政7年生まれ。楽了入の次男。


文化8年(1811)十代吉左衞門を襲名。

弘化2年(1845)剃髪隠居して旦入と号しました。

文政2年(1819)再度紀州へ趣き、徳川治寶侯・斉順侯のお庭焼きである偕楽園窯、清寧軒窯に奉仕しています。

旦入の作行きは父、了入の篦削りを主体とした作風をさらに押し進めたもので、茶碗の各所を引き立たせる篦は多彩をきわめ、篦削りの技巧的な完成をみせています。

また窯変による鮮やかな変化をみせる赤樂茶碗に特長があります。

この向付も赤楽の窯変の良さが見受けられますね。


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利休形 折敷に合わせてみました。 ・・・やはり、しっくりきます。


※ご成約済です。





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【楽吉左右衛門 六代 左入作 柏向付 5客揃】  旦入極め箱 [食の器]

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楽家六代の左入作による、稀少な作品です。

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楽 左入 柏向付 五客  旦入極め箱

幅 8.7㎝ 高さ 4㎝


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楽家では、お茶碗の他に有名なのはやはり”懐石の器”、です。

その中でも植物を題材とした作品が多い中、代表的な作品のひとつが”柏”です。

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楽 左入

1685(貞享2年)~1739(元文4年)

大和屋嘉兵衞の子として生まれ、後に宗入の娘妙修の婿養子となり、宝永5年(1708)六代吉左衞門を襲名。享保13年(1728)剃髪隠居して左入と号しました。

享保18年(1733)には赤黒200碗の茶碗「左入二百」を制作するなど、隠居後も精力的に作陶を続けました。「左入二百」は特に茶人の間で珍重されています。

光悦を思わせる造形的な箆使いと間合い、は合理的ともいう造形探求への裏付けがあったと、先代の楽さん”直入”が語っております。

その箆使いを見てみましょう。

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丸みを帯びながらも、このシャープな造り。

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この頃の器は、利休形の折敷に合わせたサイズとなっております。

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数物でありますが、1点1点の手間は茶碗並みにかかっております。

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この裏側の仁清信楽のような堅い味わい、上側の温かみのある釉薬とのバランスがたまりません。

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十代楽 旦入の極め箱になります。


楽の器・・・・それは単なる食の器としてではなく、様々な風情を独創的な意匠でデザインし、また代々の楽による技法の特徴をも盛り込んだ唯一無比のアイテムなのです。


♢以前の記事に新たに画像を追加してのご紹介です♢



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二代 和田桐山 金襴手瓢形捻 酒瓶 [食の器]

トクトクトク・・・徳利の語源という都市伝説の音が聞こえてきそうな、これぞ『徳利』の形状の優品です。(^.^)

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二代 和田桐山 金襴手瓢形捻 酒瓶

幅 9㎝ 高さ 20㎝



和田桐山、について・・・意外と知られていない由来などを。



明治34年、尼崎藩主に外科医として仕えた和田信景の孫である和田九十郎正隆が数寄者窯として西宮大社村に開窯。

明治43年、その二男である正兄(まさえ)が尼崎市東桜木町に移窯、『琴浦窯 桐山』としてスタートしました。

『琴浦』の名前の由来ですが・・・・


藤原道真が船から見えるこの美しさに感動して立ち寄り、


『ここは殊のほかのよき浦なり』

         『松は琴柱の並びたるが如し』


と称賛されたことに由来します。


また、天正10年、本能寺の変を聞き、毛利攻めより引き返し駆けつけた秀吉が、明智光秀の伏兵を逃れるために身を隠したといわれる広徳寺が近くにあり、九十朗正隆が、豊臣家の家紋である桐にちなみ陶号を桐山としたそうです。

さて、作品に戻りましょう。


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二代目の桐山は、まだまだ富裕層もおおらかで文化的であった大正時代の時代背景を元に、素晴らしい優品を数多く遺しました。

その中でも二代の金襴手は、群を抜いたレベルとしてしられます。

もちろん、コスト度外視の高品質の材料と高い技術力があってのことです。

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口辺りは、『丸紋に福・寿』

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胴の上部は、『祥瑞模様』で七宝は独楽繋ぎ、亀甲文など。


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胴の下部は・・・『牡丹唐草』?でしょうか。

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底に印銘がございます。

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上部より。

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この捻じ具合も金襴手の鮮やかさと相まって、見応えがありますね。

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共箱が2重箱としてございます。


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徳利としても、一輪生けとしてもお愉しみ頂けます☆






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