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永楽即全 紫交趾菊 向付 【10客】 十七代 極箱 [食の器]

『定番』のアイテムでありつつも、近年流通がめっきりなくなってしまった向付のご紹介です。


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永楽即全 紫交趾菊 向付 10客揃

十七代 永楽善五郎 極箱


幅 12.5㎝~13㎝×15.5㎝~16㎝  高さ 5.5㎝


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この、紫交趾によるシックながらも艶やかさも感じさせる向付は、本歌は了全時代にまでさかのぼります。

了全・保全が、紀州の偕楽園のお庭焼に招聘された話は有名ですが、その際の偕楽園焼の紫交趾と浅黄交趾の組み合わせによる茶陶作品の色彩の上質さはこれまでの京焼とはまた違うものだりました。

そこで得た釉薬の技術やセンスで、表千家吸江斎による好みものとして1827年に世に出されたものに紫交趾菊向付があります。

しかし、それは手びねりによるもので形状としては・・・少し魅力が弱いものでした。

その後、保全によりブラッシュアップされ、一般的には妙全作品が中心に流通いたしました。

しかし、製作の手間がかかり製作数が少なかったのでしょうか・・・丈夫で破損しにくい造りで現存率も高そうですが、他のものに対して流通数が少なく感じます。

しかも、ほとんどが妙全です。

そこで、即全時代に特別注文品として製作依頼されたのが当作品です。

即全による菊向付が、まず無いといっても過言ではありません。

しかし、さすがの技量で形状の端正さ、釉の安定はむしろ妙全作品よりも上かもしれません。

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そういう事情で、二十客揃いとして製作されたものを当店にて、十客づつのパッケージにお分けいたしました。

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十七代の永楽善五郎の極め箱を設えております。

当代さんも、『父の作では、珍しいですね・・』とのことです。


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菊といえば、9月を思い浮かべますが、5月は令和となって丁度一年です。

『菊』は皇室の文様でもあります。

令和の2年目を迎える今月に、ご紹介致しました次第です。(^^;








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初代 清風与平 青華福俵小盂(鉢) [幕末京焼]

幕末期の京焼陶工であります、清風与平の初代作品です。

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初代 清風与平 青華福俵小盂(鉢)


幅 14㎝×11.5㎝ 高さ 9㎝





初代 清風与平 享和3年(1803)生~文久元年(1861)没

加賀の出身で、京に出て二代高橋道八(仁阿弥道八)の弟子となり、文政10年頃に五条坂に開窯。

染付磁器を中心に製作。

江戸期における京焼の染付初期の技術を確立しました。その技術を見込まれ、備前岡山の虫明焼の指導にも招聘されました。

虫明焼の有名な雪笹手鉢、は初代清風作であろうという推測が指摘されております。

そこは、仁阿弥からの流れ・・・がありそうです。

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轆轤のあと、歪ませて楕円形に形成しております。

見事な磁器精製と、呉須の絵付けです。

昨年、ご紹介致しました保全作品にも負けておりません。


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内側に、勢いのある宝珠が。

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反対側にも。

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『甲子の日、之を製す』 (清風) 印


甲子の日というのは、五行思想での『木』と『水』の組み合わせになります。


意味としては、自然界の調和と良い流れの日、となり十干十二支の中でも最初に始まる日ということで、大変縁起が良いとされます。

これから良い流れを続けていきたいことがあれば、甲子の日に始めると良いというのはこういうことから由来します。

また、甲子の日は大黒天の縁日でもありますので、この俵の意匠との組み合わせとなるのです。


大黒天のお話は・・・今年に正木焼の俵の時に長々と御座いますのでそちらを。(^^;

この作品は、某国焼大コレクターの所持品で、合わせ箱にて伝世しております。

2年前にも同手を取り扱いましたが、その作品は銘は押印ではなく書き銘でございました。

お収めしましたお客様は、寒中の大福として・・『お茶碗』として席中でお使い頂きました☆


正客用の菓子器としても、懐石でも色々とお愉しみ頂けますね。


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【永楽保全  Blue&White】② 永楽保全 祥瑞腰捻 酒飲 [永楽保全  Blue&White]

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現在、オンライン業務中のベースですが・・・・

エア展示会? として、【永楽保全  Blue&White】を無観客開催中です。(^^;


こちらの方で、徐々にご紹介していきます。





【永楽保全  Blue&White】


紀州徳川家の御庭焼「偕楽園」に招聘され、その功により「永楽」の名を賜った幕末京焼の名工保全を紹介します。

保全は大綱和尚の世話で了全の養子となり文化14年(1817)に11代善五郎を継承。

三井家や鴻池家との交流で名品に触れる機会を得て、あらゆる写しを高いレベルで作り抜いた希代の名工です。

常に新たな知識を求め、探求しつづけた姿勢と努力は確実に作品から感じ取ることが出来ます。

善五郎襲名直後に既に完成の域にあった染付・祥瑞作品ですが・・・
初期と晩年期の双方を併せてご覧下さい。


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永楽保全 祥瑞腰捻 酒飲


径 6cm 高さ 4cm 

染付銘 大日本永楽造

”保全”箱 

製作年代 弘化4(1847)~嘉永7(1854)頃

 
晩年の保全が再び回帰し、熱意をみせたのが染付・祥瑞です。

その技術の成熟ぶりがこの形状と呉須のレベルからうかがえます。

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内側は澄んだ白に綺麗な発色の呉須で、”柘榴”が描かれております。

画像では判りにくいですが・・・よく目を凝らすと、繊細な轆轤目がうっすらと見えます。


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口縁は輪花口です。


ぐるっと一周してみましょう。

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胴締めで、下部は腰捻となっており、非常に凝っている造りです。


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腰捻部分は、8面に捻じられており、全ての面が異なる意匠となってます。

福寿、漁夫、宝尽し、碁打ち、花に流水、釣人、唐草、人馬


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江戸期は、まだまだ杯形でのお酒の楽しみ方が主流でしたので、現代向けでもあるぐい飲み形の優品はなかなか出てきません。

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高台内に2重枠、”大日本 永楽造”


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保全らしい、伸び伸びした筆書きです。

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形状と発色、申し分なし、です。

古染付、が桃山陶器を意識した、厚手の、轆轤形成でないものを生み出しているのに対し、祥瑞は薄手で上品な作行が特徴です。

形式化と、描き込まれた紋様、丁寧な造り・・・その祥瑞の真髄を見事なまでに写し切った保全の佳品となります。





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前端雅峯 宗和好み 銘々盆 【10枚】 [食の器]

数日前から、いよいよ”初夏”という言葉がふさわしい季節になってきました。

本日の非常事態宣言 延長の発表内容は、ピタッとこの状況が終わることは無いという前提で・・・医療が破たんしないようにすることと、いかにこのウィルスが存在する世界と共存して、気を付けながらも新しい生活を構築するか、という事の宣言でもあったと思います。

そういうことからも、”茶会”や”懐石料理”の形式も工夫・変革が必然となってくることと予測されます。

そこで、本来でしたら・・・これからの風炉の時期や、立礼などでも活躍する”銘々盆”。

このアイテムこそが、ソーシャルディスタンスをもちつつ、おもてなしが出来る菓子器でしょう。


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前端雅峯 宗和好み 銘々盆 【10枚】


幅 18.2㎝ (6寸) 高さ 1.8㎝(6分)


なかなか、銘々盆では珍しい種別です。

1枚をアップしてみましょう。


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デザインは、伝統的にみえて大変洒落ております。

その要因となるのが、薄い造りです。

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石川県の白山山麓から採取した”立割欅”を素材とし、山中塗のお家芸といえる・・・繊細な轆轤挽による形成です。 

盆全体を摺漆を施し、見付中央は堅下地黒真塗でアクセントを付けております。


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裏側も作りこまれております。

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一枚一枚に、漆で銘が入っております。


前端雅峯は、木地師である初代の前端春斎の長男として生まれました。

その後、名工たちに師事したあと、様々な寺院や神社仏閣にも関わり、表千家や裏千家とも繋がりを深く持ち茶道具の世界で足跡を残しております。

作品をもう一度見てみましょう。

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このデザインは”宗和好み”とされております。

金森宗和です。

江戸前期の茶人で、飛騨高山城主金森出雲守可重の長男として生まれました。

大徳寺の紹印伝双に参禅して剃髪、宗和と号する。

父から茶道を学び、のち宗和流を開き、侘び宗旦に対して姫宗和といわれ、天皇や公卿衆の茶湯に

大いに貢献しました。明暦2年(1656)歿、72才。

なにより、有名なのは陶工・野々村仁清を見出し、プロデュースしたことです。

仁清の洒落たモダンさは全て宗和の影響によるものと言われております。

また、大工・高橋喜左衛門と塗師・成田三右衛門らに命じて”飛騨春慶塗”を生み出したとも。

雅峯は、近代茶道で伝統的な作品を製作しつつも、寛永の美にも思いを馳せたのでしょう。

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よくある銘々盆と異なり、一枚一枚を薄く轆轤で形成しておりますので、各毎ごとに形状にばらつきがありますが、仕上がりクオリティは寸分狂いなく一定です☆

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共箱です。


今日は5月5日の節分の日です。


鯉のぼりのお菓子と合わせてみました!


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※売却済みです。






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【OL-4】 藤原雄 備前掛花入 [ONEGORO LINE]

明日は端午の節句・・・・です。

元は男子の健やかな成長を願うものでしたが、いつごろよりか・・・”子供の日”となりました。


『端午』


なんで、たんご?という疑問は常々思いつつも・・・意外と説明すると難しいものですので、この機会に整理してみます。(^^;


『端』は、ものごとの『はし』ということで、月の始めを指しておりました。

ですので、月の最初の『午(うま)』の日を節目として節句としていましたが、旧暦の5月が『午』の月にあたることと、同じく『午』の字が『五』にも読めるという事から、5月5日が端午の節句になっていった経緯のようです。

陰陽で奇数を重ねると縁起が良いということもあるようで。



ここからは、史実と俗説が混じります。

今からおよそ2300年前の中国に、屈原(くつげん)という詩人がおり、国王の側近として仕え、その正義感と国を思う強さで人々から大変慕われていましたが、陰謀によって失脚し国外追放とされてしまいます。

国の行く末に失望した屈源は、汨羅(べきら)という川に身を投げて亡くなり、その日が5月5日だといわれています。

国民はその死を悲しみ、川に沈んだ屈源の身が魚に食べられてしまわないよう、小船の上から太鼓を叩いて魚をおどしたり、供物を投げ入れて弔いをしていました。

しかし、その供物も、屈原のもとに届く前に悪い龍に盗まれてしまいます。

そこで、龍が苦手である楝樹(れんじゅ)の葉(茅や笹という話も)でもち米を包み、邪気を払う五色(赤・青・黄・白・黒)の糸で縛ってから川へ流すようにしたところ、無事に屈原のもとへ届くようになったと。

このことから、粽(ちまき)が災いを避けるとされ、端午の節句と組み合わさったということです。


と、前置きが長くなりましたが・・・(^^;

粽形、といえます掛花入のご紹介です。


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藤原雄 備前掛花入


幅8.2㎝ 高さ18㎝


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”ぼた餅”とも言われる備前特有の景色が良く出ております。


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表面の上がり、も非常に良いです。


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端正な口造りです。

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書き銘です。

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共箱


藤原 雄 は人間国宝として有名な備前作家です。

1932年6月10日 生  2001年10月29日没

1996年に人間国宝に認定されます。

父の藤原啓もおなじく人間国宝でした。


よく、父である啓とも比べられ、また近代備前焼としては、数が多く名前を良く聞きますが、雄の魅力とはどこにあるのでしょう?


藤原雄は、実は視力が非常に悪かったそうです。

右目は0.03で、左目は全く見えなかったとか。


しかし、父の強い勧めで健常者と同じ学校へすすみ、さらに東京の大学へも。

そこには人の数倍もの努力があるのですが、視力の代わりに高い感受性と見識を身に付けることとなりました。

(スティービーワンダーや辻井伸行などもそうですね)

新聞記者をしていたところ、小山富士夫に備前へ戻ることを勧められ家業に邁進することに。

父や自身の交友関係などから、多大な影響を受け・・・北大路魯山・川喜多半泥子・藤本能道・田村耕一といった陶芸家から鵬雲斎、さらには芸能界や料理界にも、その幅は広がり独自の”美意識”を伝統的な備前焼へ投影することで成功したようです。

正統派ともいえる、金重陶陽や父・啓とはまた異なるモダンさが人によっては好き嫌いが分かれてります作品もありますが、独自の世界観の構築と、確かな技術力をもちえた陶芸家でありました。


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備前というのは、無釉であるが故に・・・その土・形状・窯変によるものをいかに精神性を込めてコントロールするか、に尽き、一見ではどれも同じに見えてしまいつつ、逆に見るものの感性や教養も要求される六古窯のひとつなのです。





※売却済みです。


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【眞葛香山(宮川香山 真葛香山)2代 赤絵魚文 酒器揃】 香斎極箱(徳利2 盃5) [眞葛香山]

まぼろしの(?)大美特別展 出品予定作品を、以前にザっとご覧いただきましたがそろそろ詳細もご紹介して参りましょう。

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眞葛香山(宮川香山 真葛香山)2代 赤絵魚文 酒器揃

昭和時代 初期頃(1926~1940年)

香斎極箱

徳利2本 盃5個 セット



中国陶磁器の研究に長けていた香山は、初代の頃より赤絵磁器の製作も多数手がけておりました。

古赤絵の再現というよりも、香山式での鮮やかな発色と伸びやかな筆のタッチで、

形状に合わせて活き活きと絵付けを施してあるのが特徴です。

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徳利は近代ではあまり見ない、“蓋”付で燗には勿論のこと保管に際しても中に埃が入らないのも便利です。

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盃も小品ながら、それぞれが見応えのある出来栄えです。

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魚文が緻密に描かれております。

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呉須赤絵の定番の模様ですね。

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銘はそれぞれ御座います。

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徳利2本と盃5個をセット京都真葛6代目の極め箱を作成したもので、2組ご用意したうちの残り1組です。

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大変状態の良い作品です。

元は当時眞葛窯へ発注された注文品で、箱無しで伝世しておりましたので上記の組み合わせにて、

このような商品は他ではございません。クオリティとお値打ち感がかなり高いと思います。



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二代 宮川香山

MAKUZU KOZAN Ⅱ

1859(安政6年)~1940(昭和15年)


初代と共に作品を製作。

初代香山の長兄(長平)の子である。それが故に年齢差は17歳しかなく、その技術力は初代より確実に継承されている。

海外へのマクズウェアの紹介と、加えて国内へのフィードバックに努め、眞葛の名声を揺ぎ無いものにした。

初代没後は、自身の新たな感性も取り入れ時代の変遷に対応し、焼けない物は無いと言われる。

途絶えていた古伊賀釉の復活、千家の茶陶作製等も行い、板谷波山と共に関東陶芸界の重鎮であった。








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